19:45
これより会議を開きます。日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。本日は 、日本国憲法及び憲法改正・国民投票法の改正をめぐる諸問題について、討議を行います。この討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず各会派1名ずつ、大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。それでは、まず各会派1名ずつによる発言に入ります。発言時間は7分以内といたします。発言時間の経過につきましては、おおむね7分経過時にグザーを鳴らしてお知らせいたします。発言は、辞席から着席のままで結構でございます。発言の申し出がありますので、順次これを許します。鎮藤義孝君。はい、会長。自由民主党の鎮藤義孝です。本日は、憲法9条について、これまでの審査会で各会派から出された意見に関し、論点を絞って意見を申し上げたいと思います。先週の審査会では、国民民主党の玉木委員より、自民党の叩き台草案の説明は、憲法各者が違憲だと言っている、教科書に違憲論がある、共産党さんだと思うが、国民政党が違憲だと言っている、など自衛隊違憲論の解消がしたるものとなっているが、そのような消極的な目的は、憲法改正を主張する理由として、弱く、また自衛権の行使の範囲を解釈に委ねている以上、戦力不誤事を定めた9条2項との永遠の解釈論争を改正後も引きずるのではないかと、このような御指摘をいただきました。そして、つまりものすごい政治的労力を経て改正しても、違憲論に収支を打つことができず、労を多くして益少なしの改正になってしまうのでは、と御指摘いただいたわけであります。まず、私たちが説明している自衛隊違憲論の解消は、憲法改正による効果を述べているものであります。9条の目的は、憲法という国家の基本法に国防規定を創設し、それを担う自衛隊を明記することによって、独立した主権国家としての憲法及び法律の体系を完成させるというところにあります。我が国は、憲法9条1項2項の下で、いかなる主権国家も保持している自衛権を行使するために、その実力組織として自衛隊を保持しています。自衛隊は、1954年の創設以来、日々の国防、災害時の活動などにおける献身的な活躍で、国民の強い信頼を得ており、その貢献性に全く揺らぎはないと考えているわけです。この点、先週立憲民主党の中川筆頭より、現状の自衛隊は貢献、その役割と必要性については国民に十分理解されているとの発言がありました。この点に関しましては、認識を我々と十分に共有できると、このように思っているわけであります。その上で、現行の9条は、日本国憲法で唯一の安全保障に関する規定であり、1項で戦争放棄、2項で戦力不保持と公選権否認が定められています。しかし、これは平和主義の原理と自衛権行使のあり方に関する規定であって、安全保障の根幹である誰がどのように国を守るか、という国防規定は置かれていないわけであります。本来であれば、まず国防規定とその担い手である自衛隊を定めた上で、現行9条1項2項のような、その実力行使のあり方を規定するのが論理的であり、かつ最高法規としてのあるべき姿ではないでしょうか。日本国憲法が国の土台となるべき国防規定と、その担い手に関する規定を置いていないのは、占領下という独立と主権を失い、武装解除により国防を担う実力組織を持っていない状態で制定されたという特殊な経緯があったからに、ほかなりません。私たちの叩き台諏訪の第一義的な目的は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つという国防規定と、その担い手としての実力組織である自衛隊を憲法に明記し、日本国憲法制定以来の欠落部分を補うことにより、憲法頂点とする我が国の法体系を完成させることにあります。このことは、憲法改正を考える十分な立法事実と考えております。自衛隊議員権論の解消という私たちの説明は、その思いと効果を国民の皆様にわかりやすく伝えるためのものであることを、ご理解いただきたいと思います。もう一点、これも玉木委員から、九条二項をめぐる自衛権の行使の範囲、いわゆる必要最小限度の概念をめぐる永遠の解釈論争に収縮を打つべしと、このような意見をいただきました。憲法九条の下で認められる武力行使の三要件を、憲法に明記すべきとの意見であります。現在の政府解釈による武力行使の三要件とは、第一に、我が国に対する武力攻撃が発生し、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生して、これにより我が国の存在が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。第二に、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。第三に、必要最小限度の実力行使に留まるべきことであります。これは、2015年に整備された平和安全法制にも明記されています。しかし、公明党の濵地委員が指摘されるように、憲法九条の下で許容される自衛権行使の要件は、長年国会審議を通じた政府答弁によって確立してきたものであって、それを画側なく憲法に規定することは困難ではないかと考えます。どのように規定したとしても、解釈の余地は常に生じる可能性があり、最も議論となり得る必要最小限度の具体的な範囲も、結局は我が国に対する脅威の内容や程度によって相対的に判断しなければならず、その時点での解釈に委ねられることになると思います。次に、これまで複数の委員から、戦力不孤児を定めた九条二項を残したままでよいのか、自衛隊を軍隊として位置するべきではないのか、といった意見も出されています。九条改正を議論するにあたり、私は日本国憲法の三大原理である平和主義を堅持するということを大前提にすべきだと考えています。九条一項の戦争放棄と二項の戦力不孤児、公選権否認は、いずれも徹底した平和主義の精神、すなわち戦死防衛を端的に表したものであり、多くの国民がこの堅持を望んでいるのではないでしょうか。戦後77年が経過しても、国のために尊い犠牲となられた海外戦没者のご遺骨は、いまだ半数近くがふるさとに帰還しておらず、戦争による深い悲しみと傷は、時が経っても決して癒えることなく、私たちの心の中に刻まれています。二度と不幸な戦争を行わないという誓いは、国家運営の礎であり、平和主義の規定の取り扱いについては、慎重な議論が必要と考えております。最後にシビリアンコントロールに関し、公明党の濵地委員より、第2章の戦争放棄ではなく、第5章の内閣の省に自衛隊の規定を設けることも考えられるのではないかと、このような意見もいただきました。私たちが示しております叩き台訴案においても、9条の2として、内閣の首長をたる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする、との政府部内における統制と、国会の承認その他の統制に服する、との国会による民主的統制に関する規定を設けており、シビリアンコントロール規定の整備の必要性については認識を共有できると、このように考えております。私としては 、シビリアンコントロールの規定は、国防に直ぐ究極の実力組織である自衛隊を、いかに民主的統制のもとに置くか、という観点で整備するものであり、現行の9条1項2項に加え、9条の2として、新たに整備する国防規定の一環として、同じ条文の中に規定することが望ましいと考えているわけです。この点、72条や73条の内閣の職務として自衛隊を明記するという考えは、行政組織の管理運営、統制といった組織的側面に着目した整理と思いますが、そもそも自衛隊は国防という究極の実力校賞になる特別な機関であり、国防という機能的な側面と、民主的統制という組織的な側面は密接不可分なものであり、同じ条文に位置づけることが必要ではないかと、このように考えております。また、自衛隊の任務にある国防規定も含めて、72条や73条に想定した場合には、国防という根幹的な規定と、自衛権行使の在り方を定める現行9条が切り離されることになってしまいます。国防及びその担い手である自衛隊に関する規定は、9条の一環として第2章、戦争の放棄に位置づけることが望ましいのではないかと、このように考えているわけであります。本日申し上げましたいくつかの論点につきましては、今後ぜひ各会派の委員なりのご意見をお聞かせいただき、作業を深めていきたいと思います。今朝の幹事会におきましては、来週の定例日にも審査会を開催し、討議を継続することを提案いたしました。今後も憲 法審査会が安定的に開催され、充実かつ深い議論が行われるよう、委員各位のご理解とご協力をお願いし、私の発言といたします。
29:06
はい、ありがとうございます。立憲民主党の中川雅治です。今日は緊急事態状況について改めて取り上げていきたいというふうに思います。私たちは緊急事態状況を憲法に規定することについては、否定的な議論をしてきました。もう少し詳しくこの意図をお話をしたいというふうに思います。現状でも緊急事態の形態に応じて国の対処は法律で規定し、緊急事態宣言を総理大臣が発することで、総理大臣を中心とする政府に対して緊急事態に対処する権能を拡大する、このことを可能にしています。私はこうした法律体系で個々の緊急事態の状況に応じた形で、総理大臣や政府の権能を規定することが、実態に即した危機に対応できるということになると考えています。もう少し具体的な事象を示します。緊急事態としては、戦争、国内紛争、大災害やパンデミックなどの事象が想 定されていますが、例えば、戦争への対処については、大きく2つの目的が想定されます。緊急事態を認定した時点で、総理大臣は海外から侵入する敵に対して、自衛隊の武力行使を前提にした出動命令を出すことから始まります。国民を守るために敵と戦うという指揮権であります。一方で、敵の攻撃から逃れるために、国民の避難命令など、基本的人権の制限などを含めた、国民自らを対象に権力行使する機能というのがあります。具体的には、国民保護法の中で、特に国家よりも、知事や市町村長にこの権能が特別に規定されていると理解をしています。大災害やパンデミックで緊急事態を想定する場合は、災害対策基本法や新型インフルエンザ対策措法などの危機対応法制がありますが、現実の事象が起きた中で、これがうまく機能したかどうか、検証が続いています。その中で共通した問題意識は、特に災害の起きた数日間の発災時点で、1人でも多くの人命を救済すること、そして一時的に避難した人々の生活が持続可能な基本的条件を整えて、維持するための救命と復旧活動であります。この状況での消防警察自衛隊などの具体的な指揮権は、危機対応ではどこに権力の集中をして危機対応組織の動員を促し、より多くの命を救済することになるかというこ とを考えることが必要であります。それは必ずしも総理大臣一局への権力集中ではないということは、これまでの経験の中で明らかであります。事態が発生する初期段階では、現場の情報は現場の指揮官に集中します。現場の指揮官が通常の法律権限を超えた強い指揮権を与えられて、緊急的な対処ができる事前の制度が必要なことが、東日本の大震災の教訓だったと思います。また、その指揮官の対応を広域的な連携を調整して、しっかりとバックアップしていくという体制、これが総理大臣を中心とする国の組織であることが期待をされたということであります。一時的には、市町村長や知事の権限拡大や自由財源を獲得することのできる権限保障の方が、総理大臣の緊急権限よりも優先的に考えることだということが指摘をされております。緊急事態時の権限集中は必要です。しかし、緊急事態の形態により、その権限の拡大を誰にどのような形で付与するかは、想定する緊急事態によって異なっていくべきものであります。さらに言えば、国内の紛争・騒乱を想定した場合は、自衛隊の治安出動や警察の緊急事態布告などにおいて、総理大臣の権力の乱用をどのように民主的なプロセスの中でコントロールするかという仕組みを法律に組み込むことができるかが大事なテーマになってきます。そうした観点から考えると、憲法で一 律に規定するよりも、各緊急事態の形態に応じた現状の法律による対応が望ましいと言えます。同時に、それぞれの法律は、より効果のある対応を実現するために、不断の見直しをしていくということも必要であると考えます。一方で、こうした前提の中、今話題になっている議員任期の延長は、どのように整理するかが課題となります。議論の前提として、どのような状況であれ、でき得る限りの国会機能の維持は必要だという考えには賛同をします。したがって、ことの想定は、一般的に任期が切れた状況で、選挙をすることが困難な状態が生じたとき、どのように対応するかということ、言い換えれば選挙困難事態への対応であります。災害の想定だけではなく、例えば、国の財政破綻で金融市場の大混乱が起き、人々が尋常でない真珠状態に陥ったり、反体制運動が激化して選挙のボイコット運動が蔓延したりなど、様々に社会の混乱は想定をしておくべきであります。そうした前提の下で、議論の整理をすれば、まず第一に、この選挙混乱事態の定義が必要であります。特に、100%の公平性を前提にした選挙の環境を言うのか、それとも、多少の公平性は犠牲にしても、選挙可能とみなすのであれば、それが具体的にどの程度のことを言うのか、期間、広域性、事態の深刻度などについて決めておかねばならないと思うのであります。選挙混乱事態の定義です。次の課題は、参議院の緊急集会が事前の策として使えるのかどうかということであります。私たちは、まず第一、解散時以外の任期満了時にも累推適用ができないか、この問題。それから第二に、70日の期限限定を少しでも緩和する解釈はできないか。そして、三番目に審議ができる案件が、内閣提出の案件及びこれに関連する案件に限られたとする限定を緩和できないか、等の所点について検討が必要と考えていますが、参議院での議論や憲法学者の見解も踏まえて、憲法解釈に結論を見出すべきであります。ここで出てくる結論によっては、憲法の今の規定に、選挙混乱事態における議員任期の特例を設ける必要が出てくる可能性もあり得るというふうに思います。もう一つ大事な議論があります。権力者にとっては、自分に都合のいい理屈をつけながら、このような制度を利用して、恣意的に選挙を先延ばししたり、選挙自体を避けることもできる可能性が出てきます。これを避けるためには、選挙混乱事態の政治無聞による認定をチェックする仕組み、これは司法の関与などということでありますが、について工夫をすることも大切な議論になってくるのではないかというふうに思っております。以上、整理をしましたが、これからさらに議論を深めていきたいというふうに思いますし、ここの議論だけではなくて、国民的な意識の喚起ということを求めていくためにも、参考人あるいはそれぞれの場所で、参議院も含めて議論を広めていく、拡大をしていくということが大切だというふうに思っております。以上です。
37:22
本日、数え年で50歳となりました日本史の会の小野太一介です。ありがとうございます。ありがとうございます。私が生を受けて半世紀もの間、憲法が一度も改正されなかったことは、それぞれのお立場により感じ方が異なると思いますが、私は時代とともに憲法も必要に応じて適切に見直していくことが大切だと考えております。さて先週は、各会派から憲法9条改正に関する意見表明が多くなされました。本命党の濵地委員からは、自衛隊の明記に関しては、行政各部を指揮監督する対象として、憲法第5章の内閣の中の憲法72条に書き込む案や、73条の内閣の事務に自衛隊の指揮権を明記することなどのご提案がありました。自衛隊を国防の担い手としての組織的側面及び文明統制の側面から規定するやり方として、有力なアイデアではあると思いますが、以下申し上げる理由で、9条に書き加える自民党や我が党の案の方が自然かつ適切なのではないかと考えます。憲法72条や73条は、内閣のあり方について規定したものであり、指揮監督する対象としては、行政各部を等しく扱っており、特定の干渉を挙げておりません。仮にこれらの条文に自衛隊を明記するとすれば、自衛隊だけがなぜ行政各部の中で特出しされているのか、その理由がよくわからないことになるのではないかと思います。やはり先週、自民党の複数の委員の皆様が言及されていたとおり、自衛のための実力組織という特殊性・独自性に鑑み、我が国の平和の維持を定めた憲法9条に自衛隊を書き加えることが適切であると考えます。その上で、我が党の憲法改正原案では、自衛隊は防衛を担う実力組織ではあるものの、あくまで行政各部の一つであって、各行政機関と同格であり、内閣総理大臣の指揮監督権に服することも9条で明確に規定しております。自衛隊を明記するのであれば、内閣の省ではなく、9条で行うのがすさらしいと考えております。この点、立憲民主党の中川幹事からは、憲法への自衛隊の明記は必要ないとの御意見がありました。しかし、先週の議論で玉城委員が赤嶺委員に水を向けられましたが、共 産党として自衛隊を合憲と認めるというような、玉城委員がおっしゃる「双方ハッピーになる」答弁は残念ながら、赤嶺委員からはありませんでしたので、引き続き、自衛隊は意見等の疑義を唱える政党が国会に議席を有されているといえ、憲法に自衛隊を明記する憲法改正事実が依然として損するものと考えます。ただ、先週玉城委員から、たとえ憲法9条に自衛隊を書き込んだとしても、自衛権の範囲が解釈に委ねられている限り、結局のところ当該解釈は憲法9条を逸脱しているのではないかという牢騒が永遠に続くのではないか、そのためには、9条の解釈の内容、例えば、新三要件をある程度書き込むなどすべきではないかとの御発言もありました。しかし、まず、憲法改正手続上、新三要件のような現在の政府が見出した解釈が国会でのコンセンサス、つまり、衆参各議員の総議員の3分の2以上の賛成を得られる見込みが乏しいことは、事実上重い問題であると思います。立憲民主党や共産党はもちろん反対されていますし、公明党は憲法9条に自衛隊を書き込むことにも慎重な立場をとっておられます。自民党と同じく、限定的な集団的自衛権を認める立場である私ども日本紙の会も、新三要件を議論していた当時、政府の存立危機事態については要件が曖昧かつ広すぎ、純粋な他国防衛にまで関与してしまう恐れがあるとし、米軍島防護事態という政府の要件をより絞り込んだ提案を行いました。