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衆議院 憲法審査会

2023年04月27日(木)

1h41m

【公式サイト】

https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54585

【発言者】

森英介(憲法審査会会長)

新藤義孝(自由民主党・無所属の会)

階猛(立憲民主党・無所属)

三木圭恵(日本維新の会)

北側一雄(公明党)

玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)

赤嶺政賢(日本共産党)

北神圭朗(有志の会)

17:40

(会場の声)

1:01:20

これより会議を開きます。日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。本日は、日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正をめぐる諸問題について、討議を行います。この討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず各会派1名ずつ、大会派順に発言していただき、その後各委員が自由に発言を行うことといたします。それでは、まず各会派1名ずつによる発言に入ります。発言時間は7分以内といたします。発言時間の経過につきましては、おおむね7分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。発言は、自席から着席のままで結構でございます。発言の申し出がありますので、順次これを許します。

1:02:06

震動 吉田家君

1:02:07

はい、自由民主党の震動吉田家です。4月より、9条に関する討議を行ってまいりました。今国会における審査会の討議は、いくつかの論点について、委員から問題提起があり、これに対する見解がきちんと準備された形で各会派の委員より示され、建設的かつ実態的な議論が積み重ねられています。議論がかみ合い、内容が審査会の毎週の討議において深められているという状況は誠に喜ばしく、国民の皆様に憲法改正の必要性や、さまざまな論点を明らかにできるよう、今後も努力してまいりたいと思います。本日は9条改正につきまして、これまでの積み重ねで明らかとなってきた、意見の方向性や相違点を、私なりの観点から、整理をしたいと思っております。まず、配付資料の1、現行の9条改正の基本姿勢をご覧ください。憲法9条は、1項で戦争放棄、2項で戦力不保持と公選権否認を定め、日本国憲法の三大原理である、平和主義の理念を宣言したものであります。この平和主義の理念においても、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は否定されておらず、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められています。また、その担い手である自衛隊が、9条2項によって禁止される戦力に当たらないことについても、長年にわたる国会審議を通じ、確立しているところであります。このような憲法の9条改策については、1の(1)にあるように、憲法解釈を維持すればいいか否かという論点があり、A、今後ともこれを維持すべきとする意見と、B、9条2項を削除したり、解釈変更するなどして、他国と同様に戦力としての軍隊を保持できるように変更すべき、との意見が出されております。私は9条1項の侵略戦争放棄のみならず、2項の戦力保持までも定める、我が国独自の平和主義については、二度と不幸な戦争を行わないという誓いは国家運営の礎である。そして戦後77年が経過しても、なお戦争による深い悲しみと傷は決して癒えることなく、私たちの心の中に刻まれていること、これを重く受けとめて、平和主義の取り扱いについては慎重な議論が必要と考えております。多くの意見は、現行の9条の必要最小限度、戦首防衛といった解釈は維持すべき、との意見だったと考えますが、引き続き議論を続けてまいりたいと思います。これと関連して、今述べました9条解釈について、1の(2)として、憲法に明文化することの是非についての意見も出されています。この論点については、A、長年積み重ねられてきたものであり、これまで通り解釈に委ねるのが適当とする意見と、B、曖昧な解釈に委ねることなく、明文で規定すべきとする意見がありました。仮に現行の必要最小限度や戦首防衛の解釈を明文で規定したとしても、結局は我が国に対する脅威の内容や程度によって相対的に判断しなければならず、その時点での解釈に委ねられることなどを理由に、多くの意見はこれまで通り解釈に委ねられるのが適当ではないか、ということだったと思いますが、この点につきましても、引き続き議論をさせていただきたいと思います。次に、配付資料の2、国防規定自衛隊明記をご覧ください。まず、(1)として、憲法に明記することの要否に関する論点があります。これについては、A、国家の根幹である国防規定や、その担い手である自衛隊に関する規定は、基本法である憲法に位置づけることが必要、との意見が出されております。他方、(2)、現状の自衛隊は合憲であり、その役割と必要性については、国民に十分に理解されており、わざわざ憲法に明記する必要はない、憲法改正は不要だ、との意見もありました。9条は、日本国憲法で唯一の安全保障に関する規定です。しかし、それは、平和主義の原理と自衛権行使の在り方に関する規定であって、現行9条には安全保障の根幹である、誰がどのように国を守るか、という国防規定が欠落をしております。私とすれば、国防規定と、それを担う実力組織である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とする法体系を完成させることは、国の根幹を整えることであり、多くの委員の賛同を得られるのではないか、と考えております。次に、(2)として、この国防規定とその担い手である自衛隊を憲法に明記する理由、いわゆる立法事実については、(b)にある自衛隊意見論を解消するため、という意見もありましたが、(a)にある、私が一貫して説明しております、日本国憲法制定以来の欠落部分である国防規定と、その担い手である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とする我が国の法体系を完成させるということが、立法事実としてふさわしいのでは、と考えております。自民党叩き台草案の資料にある自衛隊意見論の解消という説明は、その思いと効果を国民に分かりやすく伝えるためのものであることを申し上げております。この点も基本的な論点であり、引き続きしっかりと議論を深めてまいりたいと思います。次に(3)、シビリアンコントロール規定の用意、といった論点があります。一つは内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする政府部内による統制、もう一つは国会承認や国会報告といった国会による民主的統制に関する規定を憲法に明記することの要否に関する論点です。まず、シビリアンコントロール規定の必要性については、共通理解が得られており、不要とする意見はなかったと思います。そもそも軍隊や実力組織に対するシビリアンコントロール規定は、各国憲法でも一般的に定められている当然の規定だと思います。最後に、今後より深掘りをした議論をする際の論点となる(4)、その他の条文表現構成について、これまで出されている意見を申し上げます。まず(1)として、現行の求情との関係を整理する文言、すなわち冒頭で述べた現行の求情解釈を維持することをどのように表現するか、といった論点があります。一つは(a)、私たちの叩き出すわんのように、必要な自衛の措置をとることを妨げずと表記し、第9条1項2項の解釈を確認する規定とする意見がございます。これに対して、妨げずは、例外規定を表す場合もあり、適当ではないのでは、との御指摘もいただいております。他方、この妨げずと同じ趣旨を、(b)のように、9条の範囲内という表現で示す意見もあります。これらの規定ぶりにつきましても、さらに議論を詰めてまいりたいと思います。次に、(4)の(2)として、この国防規定自衛隊名記を憲法のどこに規定するか、といった条文の置き場所に関する論点があります。私たちとすれば、(a)、9条の(2)として、第2章、戦争の放棄の章に規定するのが、自然ではないか、と考えております。さまざまち国防規定とそれを担う実力組織である自衛隊という国家の根幹的な規定と、その実力行使の限界を定める現行9条の平和主義の規定、そしてその活動に対するシビリアンコントロール規定は、密接不可分であり、同一の章に規定してはどうか、と考えるからであります。これに対して、(b)のように、もっぱらシビリアンコントロール規定に着目して、第5章、内閣の章に定めることも考えられるのでは、との意見もいただいております。これらの点につきましては、今後の討議の中で、さらに議論を詰めてまいりたいと思います。今朝の幹事会におきましては、次の定例日である5月の11日にも審査会を開催し、討議を継続することを提案いたしました。今後も、憲法審査会が安定的に開催され、充実かつ深い議論が行われるよう、委員各位のご理解とご協力をお願いをいたしまして、私の発言といたします。

1:09:47

次に、階猛君。

1:09:49

立憲民主党の階猛です。先週の党審査会終了後の筆頭間協議により、今週の党審査会においては、私の方から国民投票法の論点を説明してほしいと中川筆頭から指示がありましたので、以下述べさせていただきます。なお、本日は、国民投票法に関して、これまでどのような議論がなされてきたのか、第208回国会、すなわち昨年の通常国会以降の各会派の主な発言をまとめた資料を用意し、配付する準備をしておりました。これは、全国会における自民党の振動幹事の緊急事態に関する論点の例に倣い、私から衆議院法制局に対して事務的に整理するよう依頼したものです。そしてこれも、振動幹事の例と同様、今回取りまとめる内容は、各会派においてオーソライズされたものではありません。基本的に各会派の意見を私なりに取りまとめて、法制局に整理をしてもらう趣旨で作ったものであります。今後の建設的な議論に資するものであり、振動中川両筆頭の合意内容にも反しないと考えておりましたが、先ほどの幹事会の協議の結果提出が認められず、極めて遺憾です。会長におかれましては、早期提出に向けてお取り払いをいただきますよう、切にお願いを申し上げます。はい、受け止まりました。さて、国民投票法に関する論点について、意見の隔たりが大きいものを中心にご説明します。まず、現行法の附則4条の位置づけです。我が党からは、同条1号に掲げる、投票人の投票環境の整備に関する事項と、同条2号に掲げる、国民投票の公平公正の確保に関し、何らかの法制上の措置等が講じられるまで、憲法改正発議はできない趣旨であるということを、この条文の起草に携わった多くの委員が説明しているところです。しかし、条文上はこの点は明確でなく、他の会派からは反対意見が出ています。ただ、いずれの見解をとるにせよ、両事項については施行後3年をめどに、必要な法制上の措置等を講ずるものとされており、間もなく施行後2年を経過します。両事項について、必要な法制上の措置等の検討を急がなくてはなりません。この課題を放置したまま、憲法改正の中身の議論だけを続けることは、附則4条が予定するものではないということを、この際申し上げます。第2に、投票環境整備です。すでに公職選挙法で手当がなされた3項目の改正について、我が党も改正することには依存ありません。ただし、憲法改正の国民投票は、通常の選挙と異なり、主権者である国民が直接国の在り方を決める重要な機会です。通常の選挙以上に投票環境の整備が求められる中、高齢化やグローバル化への対応の必要性も増しています。こうした認識の下、3項目以外についても、必要な事項がないか検討すべきというのが、我が党の考え方です。また、先ほど申し上げた附則4条に掲げる、もう一方のテーマである、国民投票の公平公正の確保に関する改正も、先ほど申し上げたとおり、検討を急ぐべき時期に来ています。両事項を盛り込んだ改正案の成立を図る方が、効率的であり、憲法改正の是非に関する国民の関心を高めることにつながると考えます。第3に、CM規制等です。まず、放送CMについては、民放連のガイドラインによる自主規制への評価の違いが、法律による規制の用費に関する見解の違いにつながっていることを確認したいと思います。表現の自由の重要性は、言うまでもないことであります。しかしながら、アテンション・エコノミーが発達した現在、憲法改正への賛否を勧誘するCMが賛否一方向に偏ることにより、主権者の判断が歪められ、国民投票の公平公正が害される事態を防ぐ必要があります。そこで、我が党としては、違憲CMによる違憲表明の自由については、国民投票広報協議会を通じた発信の機会が与えられる政党等は除いて保障することとします。他方、勧誘CMについては、これを禁止することで、表現の自由と国民投票の公平公正とのバランスを図ろうとしているということをご理解いただければと思います。次に、ネットCM、ネット等の適正利用です。この点については、ネット規制は困難である。ネットの問題は国民投票に限られないといった意見が各党から出ていますが、国民投票についてのネット規制の海外事例などについて、国会図書館の調査報告書が最近公表されました。後ほど、我が党のキー議員からもこれに関する発言があると思いますが、こうした海外事例も参考にしながら、建設的な議論をするべきです。次に、資金規制です。憲法改正の賛否が改正案の良し悪しではなく、資金投入の多い少ないによって左右されることがあってはなりません。まして、外国勢力の資金によって憲法改正の賛否が決められることは主権侵害であり、安全保障の観点からも断じてあってはなりません。そのような観点から、立憲民主党は、英国の例などを参考にしながら、支出限度額の設定、外国人等からの寄附の受領禁止などを主張しており、一部の会派も同様の見解を示しています。与党の委員からは言及がない状況ですが、保守派を辞任する委員の方々には是非関心を持っていただいて、前向きな議論をお願いしたいと思います。第4に、国民投票広報協議会の活動です。この点については、共産党を除いて、充実強化を図ることで一致しています。是非、具体的な充実強化策について、今後詰めさせていただければと思います。偽情報や誤情報により国民が判断を誤ることのないよう、民間のファクトチェック機関と連携を図る必要性も複数の会派が指摘しております。今後議論を進めていくべきと考えます。最後に、その他ということで、特に選挙運動と国民投票運動の機関重複をどうするべきかということは重要な論点だと思います。今後議論を深める必要があります。以上で、私からの発言を終わります。

1:16:14

次に、美希恵君。

1:16:16

日本新農会の美希恵です。今日は、憲法9条について、我が党の考え方と各党各会派の意見の相違についてまとめてみたいと思います。まず、9条1項2項は、維持するという考え方は、自民党公明党立憲民主党は同じであります。しかしながら立憲民主党は、自衛隊は合憲であり、その役割必要性は国民が理解しているところであり、自衛隊の命義や扶養とのお立場なので、各党の比較の対象からはここで外れてしまうことになります。国民民主党は、本質的な議論、つまり9条2項の存続や自衛隊の軍としての位置づけをすべきとなっており、有志の解も国際法を踏まえてフルスペックの集団的自衛権を認め、2項を削除し自衛隊を軍として位置づけるべきとの御意見です。この9条2項を削除するべしという論は、先週に我が党の小野委員から、政治的ハードルはかなり高いが議論はすべきとの旨の発言がございました。9条をどのように捉え、そして自衛隊を憲法にどのように位置づけるのか、また必要最小限度の概念や自衛権について、まさに9条2項はその議論の入り口にあり、大きな大きな争点であります。例えば足田修正論が出された時期や経緯を見ても、9条2項はその時代時代の背景に左右されながら、様々な議論を巻き起こし、今日まで来たのではないかとそう感じるものであります。それゆえに私も個人的に、この9条2項について議論することは、とても大切なプロセスであると考えています。また、公選権、Right of Vigilanceという言葉は、日本国憲法を除き、公式用語として存在しない、よって削除すべしという意見もあることを付け加えさせていただきます。次に必要最小限度ですが、これは相対的概念であることを、維新、自民、国民民主党がそれぞれ述べています。また、自衛権行使の範囲を国民民主党は具体的に憲法に書き込むべきとの御意見ですが、自民党公明党一心はそれぞれ余すことなく書き込むことは困難、過不足なく明文化することは困難、日本国憲法が公正憲法であることを考えると解釈で行うのが適当との意見でありました。私は書き込むことによってポジティブリスト化してしまい、不足の事態にかえって自衛隊の手足を縛り、危険を招くことになるのではないかと考えます。国防規定については自民党国民民主党が必要とのお立場ですが、維新の会は憲法に自衛のためと明記すればよいとの考え方です。また、自衛隊違憲論ですが、公明党国民民主党は自衛隊違憲論の解消が自衛隊明記の目的であることは疑問としているのに対し、自民党は自衛隊違憲論の解消は目的ではなく効果であるとしており、維新は自衛隊違憲論を解消するべきとしています。自衛隊は現行憲法下では、学者の間では通責的には違憲とされることが多いことを鑑みれば、自衛隊を憲法に明記することによって違憲論が排除されるのであれば、それは大きな意義を持つことは間違いないと考えます。もちろん違憲論を解消することだけが目的と化しているのであれば疑問が残るでしょうが、9条に自衛隊を明記することによって、我が国のスタンスを世界に明確に示し、また我が国が平和主義を保ちつつ、自衛隊の存在を憲法に書き込むことで、自衛隊が法律上の存在から憲法上の存在に書き上げされること、つまり自衛隊が憲法によって根拠付けられ、法的安定性が高められること、国民投票を行うことによって自衛隊の民主的正当性が一層高められることなどが挙げられます。もう一点、実は自衛隊の召喚クラスが一番嫌なのが自衛隊、セルフディフェンスフォースという呼称です。国防軍あるいは防衛軍にしてほしいと。だから自衛隊を明記することは避けて、せめて実力組織という表現にしてほしいという御意見があると伺っています。一足飛びには難しいかもしれませんが、我が国を守るという命を懸けた任務に就いている自衛隊員の信条を考慮することも非常に大切な観点かと考えます。次にシビリアンコントロールについては、各党が明確化が必要との認識で一致しています。その際、自民党の振藤幹事からは、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする都の内閣の統制と、国会の承認その他の統制に服する都の国会による民主的統制に関する規定を設けているとの御発言がありました。我が党は自衛隊を行政各部の一としてと書くことによって、内閣の統制、そして法律の定めるところにより、とすることで国会の民主的統制を図っています。この点、自民党案と維新案は似ていますが、維新案の方が自衛隊そのものを行政各部の一とすると明確に示しているので、防衛省と自衛隊の関係が今と変わらないことを示しており、シンプルかつわかりやすい表現になっています。また、自民党案の妨げ図という文言ですが、妨げ図には確認規定の意味のほかに例外規定の意味を持つときがあるため、9条に穴を開けるつもりかと疑念を抱かれることになりかねません。これは公明党も同じく例外規定と介される余地があると懸念を示されました。我々の案では、全条、すなわち9条の範囲内でという表現を用いることを提案しています。そうすれば、新設する9条の2がどのような規定であれ、現行9条の枠を飛び出ることはありえなくなり、現行9条の重要規範である必要最小限度や選手防衛が疑念を持たれることなく、より明確に維持されることになります。そして、最後に規定する場所でございますが、自民党維新案では9条に新たに2を創設しようとするものですが、公明党は第5省内閣に、そして国民民主党も自衛隊意見論の解消とシビリアンコントロールの明確化のみを改憲の目的とするならば、第5省内閣にという御意見でした。私は、内閣の省に自衛隊を明記することは、いささか無理があると感じます。なぜなら、自衛隊が実力組織だという理由だけで、他の行政機関と著しく違う扱いで憲法に書き込むことに疑問が生じるからです。以上が、ここ最近の各党各会派の御意見の一致するところ、違うところです。今後は、相違点についてどのように意見をすり合わせていくのか、今日私なりに整理をしました論点も、ぜひ御一行いただき、活発な議論の上に合意を見出せる作業を進めていただければと考えますので、どうぞよろしくお願いいたします。御清聴ありがとうございました。

1:23:14

次に北川和夫君。

1:23:17

公明党の北川和夫です。緊急事態条項の創設、特に緊急事態における国会議員の任期の延長について、昨年来、党審査会で活発に論議されてまいりました。衆院解散後、もしくは議員任期満了前に緊急事態が発生し、国政選挙の適正な実施が長期間困難と認められるときに、国会の機能を維持するため、憲法を改正し、国会議員の任期の延長ができるようにすべきであること、そして、その要件、手続、効果等についても、具体的な内容についての論議が進められ、御会派ではすでに共通の理解ができつつあると思います。憲法41条は、国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関としています。国会はいかなる緊急事態が発生しても、必要な法律と予算を審査・成立させ、また政府を監視・助言をしていくという重要な役割・機能を担っていかねばなりません。緊急事態における国会議員の任期延長論は、まさしく「どんな場合でも国会機能を維持していかねばならない。そのために憲法の改正が必要」との議論です。また、国会機能の維持という観点から、党審査会では、緊急事態が発生し、議場に国会議員が参集するのが困難となった場合にどうするのかが議論され、憲法56条1項の出席の概念は、例外的にオンラインによる出席も含まれるとの意見が体制となり、その結果を昨年3月、衆議院議長に報告したところです。それからすでに1年以上経過しており、衆議院の議員運営委員会での速やかな検討をお願いしなければなりません。国会法等の改正や、システムの整備などが当然必要となってまいります。会長におかれましては、現在の議運での検討状況について、幹事会にご報告をお願いしたいと思います。次に、緊急事態によっては、国会での法律の制定や予算の成立を待ついとまがない場合があるのではないか、そのような場合には、国民の生命財産を守るために、内閣に緊急政令制定金や緊急財政処分を行う権限を付与すべきとの意見があります。これは、緊急事態における国会機能の維持という目的とは、次元が異なる論点であることを、まず確認しておきたいと思います。緊急事態における国会機能の維持という観点からは、先に述べましたとおり、まず緊急時にオンライン国会が開催できるよう、その手続きと条件を早急に整備すべきと思われます。また、緊急事態だからといって、憲法で内閣に白紙委任的な緊急政令制定権を認めることは、国の唯一の立法機関としての国会の責任を放棄することにつながります。我が国の危機管理法制は、相当程度整備されています。例えば、現行の災害対策基本法第109条では、生活支出品の上等制限、化学統制、金銭債務の支払い延期等の具体的項目を明示して、内閣に緊急政令制定の権限を与えています。また、国民の権利自由との関わりでは、災害救助法7条、8条で、医療・土木建築工事、または輸送関係者や近隣住民等の一般国民に対しての従事命令の規定もあります。こうした災害対処法制のほか、感染症の全国的かつ急速な蔓延への対処としての新型インフルエンザ等対策特別措置法、有事の際の武力攻撃事態等対処法、国民保護法などの有事法制、治安上の事態対処のための自衛隊法、警察法などでも政令委任規定があります。このように法律事項として個別に政令委任ができる範囲を規定し、危機管理法制をさらに精美充実していくべきではないかと考えます。仮に緊急事態時における内閣の政令制定権等を憲法に規定するとしても、憲法41条の例外規定としての位置づけではなくて、例えば、内閣はあらかじめ法律の定めるところにより、法律で定めるところの事項を定める政令を制定し、または、財政上の支出、その他の処分を行うことができる、との確認規定となるのではないかと考えられます。憲法41条の国権の最高機関、国の唯一の立法機関との規定、また、同83条以下の財政民主主義の規定は、日本国憲法の基本原理である国民主権の理念を体現したもので、この例外規定を紛ることには慎重でなければならないと考えます。1962年5月、今から60年以上前になりますが、先に述べましたように、災害対策基本法を改正し、内閣に一定の緊急政令が制定できる権限が与えられました。この改正法案審議の際、衆議院地方行政委員会では、参考人質疑が実施され、東大の小林直樹先生や、一橋大の田上常治先生など、当時の著名な憲法学者が出席されました。法律で緊急政令制定権を内閣に付与することが、憲法41条に反しないのかが、まさしく争点となりました。私もこの時の議事録を改めて読ませていただきました。参考人からは、次の理由から、国会の唯一の立法機関性に反せず、違憲ではないとされました。第一に要件が、災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合として限定されていること。第二に政令に委任する事項が限定されていて、特に経済活動に関することになっていること。第三に直ちに国会の承認を得なければならないという暫定的な措置であることなどを理由にして、憲法41条に反しないというふうにおっしゃっておられます。また、小林参考人からは、このような災害緊急事態時の緊急政令を認めるからといって、一般的にそういう法律が合憲であるということではない。そうした趣旨の御発言もございました。以上の参考人の意見は、災害対策基本法の改正条項が憲法41条に反しないかという憲法解釈のレベルのものですが、憲法政策としても、憲法で内閣に白紙人的な緊急政令制定権、緊急財政処分権を認めることは、憲法41条、また、同83条などの理念、憲法の価値体系との整合性が取れないのではないかと考えます。また、災害、感染症蔓延、戦争、テロなど、緊急事態の要因が異なる中で、政令に委任する事項を憲法で限定して書き込むことは困難と思われます。次に、国会法68条の3では、憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行う。また、憲法改正国民投票法47条では、投票は国民投票に係る憲法改正案ごとに1人1票に限るとあります。これは、憲法改正国民投票において、国民の賛成、もしくは反対の選択の意思表示が的確にできるようにするためのものです。同じ緊急事態に係る条項といっても、国会議員の任期延長と、内閣の緊急政令制定権等とは、改正目的の次元が異なるもので、区分されて発議・投票が行わなければならないと考えます。日本の国会に当たるウクライナの最高会議では、ウクライナ国民と国際社会にその活動を連立発信しています。議会のホームページは日々更新されていますが、これによると、ロシアがウクライナを侵略した2022年2月24日から今日に至るまで、計912件の法律の制定や改正、また議会決議がなされています。ウクライナの国会は、1年以上にわたる選挙化でも、その責任と役割を厳然と果たしております。以上、本日の私の意見表明といたします。はい。ただいま北川君から、会長に御要請のあった件については適切に対処いたします。

1:32:37

次に玉木雄一郎君。

1:32:39

はい。国民民主党の玉木雄一郎です。まず、緊急事態における議員任期の延長について述べたいと思います。先週も立憲民主党の篠原委員に対して、任期満了を迎えた全議員に、議員並みの特別な身分を付与する特別立法は可能なのか、ということを伺いました。なぜ私はこのような質問を繰り返しているかといえば、憲法に書いてある議員任期の延長や、全議員の身分復活延長には、やはり憲法改正が必要であって、立法措置で行う場合は、違憲立法にならざるを得ないと考えるからです。しかし、もし立法や解釈で、一時的、臨時的、限定的とされている緊急集会の射程を伸ばしたり、拡大できるのであれば、具体的にどのような立法や解釈で行うのか、その対案をぜひ立憲民主党の考えを伺いたいからであります。また、期間や対象について、限定なく緊急集会で対応できると主張する憲法学者などがいらっしゃれば、ぜひ参考人として来ていただきたいと思います。これは、森会長にぜひお問い合わせください。その上で、立法や解釈では対応が難しいということになれば、何か先生も前回おっしゃったと思います。そのときは、立憲民主党さんにも、ぜひ憲法改正の議論に入っていただきたい。そうすれば、非常に幅広い成案を得ることができると期待をいたしております。加えて申し上げたいのは、議論を拡散することなく、まずは一転の多い議員任期の延長について、成案を得ることに集中して議論してはどうかということであります。せっかく議員任期の延長については、意見がまとまりつつあるのに、まとまる前に次のテーマに行くことは避けるべきではないかと思います。はっきり申し上げて、現実的に憲法改正を実現したいのであれば、まずは議員任期の延長規定に絞って議論を深めるべきだと考えます。この9条改正については、前回の議論を聞いていても、とてもすぐにはまとまりそうにないと感じます。あまり欲張りすぎない方がいいと思います。特に自民党の9条改憲案では、自衛隊ができることは変わらないと主張されています。一方、議員任期の特連庁は、これは憲法を改正しないとできないので、必要性の度合いが全く異なると考えています。また、自民党の国防規定、自衛隊名記論は、改憲理由が抽象的でわかりにくい印象を受けます。改めて、具体的な課題について、一件申し上げたいと思います。まず最大の問題は、憲法を改正して国防規定を設けたとしても、違憲論が解消されないことです。自民党の言う国防規定を設けた場合、自衛隊の組織としての違憲論は解消されても、自衛権の行使という行為についての違憲論は解消されません。前回申し上げましたが、例えて言えば、お父さんの勤め先についての違憲論は消えても、お父さんが行っていることの違憲論は依然として消えません。行為についての法的安定性が担保されないからです。進度管事は前回、誰がどのように国を守るのか、これが国防規定だと述べられましたけれども、自民党案では、誰がは明確になっても、どのようにの部分についての違憲論が消えないわけです。その結果、新設される国防規定は、違憲論がつきまとう不安定な国防規定にならざるを得ず、命を懸けて国を守る自衛隊の皆さんに対して、誠に申し訳ない内容となる可能性があります。これではまさに、牢を多くして益なしの改憲となる可能性があります。9条改正を検討するのであれば、やはり常著論ではなく、論理的規着として、戦力保持を定めた9条2項を削除するか、あるいは残す場合であっても、少なくとも9条2項の範囲内ではなく、例外として戦力の保持を正面から認める書き方にしないと、違憲論は消えません。さらに国防規定が必要というのであれば、自衛隊を戦力として位置づけなくていいのか、この本質的な議論を避けるべきではないと考えます。なお、本日示された振動幹事の資料で一番上ですが、9条の現行解釈を維持すべき、そして解釈の明文化は不要という記述は、改憲に向けた大きな矛盾を明らかにしていると感じます。つまり、現行の解釈は維持します。そしてその解釈は書かなくていいということであれば、まさにそのままでいいのではないかということで、まさにこの整理は自衛権の行使に関して言えば憲法改正が不要だと言っているように見えます。それと、法体系の完成という言い方も気になります。逆に言うと、現行憲法の規定は未完成ということになりますが、先ほどの説明では、現行の解釈のもとで整合性をとれた法体系が完成しているからこそ、解釈を維持した上でその解釈の明文化は不要としているのではないでしょうか。未完成というなら、組織に対する意見論のみならず、公務員に対する意見論にも終止符を打つ改憲とする必要があるのではないでしょうか。そもそも、意見論の残る国防規定は、とても法体系の整備・完成とは呼べないと考えます。最後に、チャットGPTについて申し上げます。私、実際チャットGPTに憲法9条は改正した方がいいですかと聞いてみました。そしたら、聞いてください。以下のとおりです。憲法9条を改正する必要性については、意見が分かれています。一方で、国際情勢やテロリストの脅威が増大する中、自国の防衛力を強化する必要性があると主張する人もいます。また、こうした立場の人々は、9条を残したままでは、自国の防衛ができないとして改正を求めています。一方で、9条を改正することが平和主義に反するとして、改正に反対する人々もいます。個人的な意見としては、憲法9条は大切な価値観を体現していると思いますが、時代の変化に合わせて議論し、必要に応じて適切な改正が行われることも必要かと思います。ただし、その際には、多様な意見が尊重され、丁寧な議論が行われることが重要です。との答えが返ってきました。30秒くらいで返ってきました。正直バランスが取れていて驚きました。ただ、一つ問題だと思ったのは、改憲論者が、9条を残したままでは自国の防衛ができないとして改憲を求めているという部分です。今の議論、自民党の改憲案は、実は自国防衛の強化を目的としていませんね。つまり、国防規定を設ける解釈はそのまま、書くことが必要ないということは、何かできないことを追加的にできることをする、つまり、暴力を強化することを目的としていないのですが、少なくとも、チャットGPTさんは、自民党の改憲案の本質を理解をまだしていないのですね。何を言いたいかというと、最もらしい答えが返ってくるのですが、このチャットGPTを含む、正々堰の答えの正確性、公平性、中立性をどう担保していくかということは、極めて重要だと思います。前回、しな先生に申し上げましたが、しな先生が提起された情報環境権、これは非常に大事だと思うのですが、人間のみならず、AI自身がどれだけバランスの取れた情報を食べることができるか、入手することができるかという環境整備を、どのような規制の下で実現していくのかということが、非常に重要だと思います。その意味で、私たちが適切に思想良心の自由を形成できるよう、チャットGPTと憲法19条との関係についても、党審査会で幅広く議論をしていきたいと思います。以上です。玉木君から、御要請のあった件については、幹事会等で協議をいたします。

1:40:33

次に赤嶺政賢君。

1:40:37

日本共産党の赤嶺政賢です。今日は、沖縄と憲法について、意見を述べたいと思います。71年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発行しました。この左条約の第3条によって、沖縄県は日本から切り離されました。沖縄は米軍の姿勢喧嘩におかれ、県民は絶えがたい苦しみを押し付けられました。私たちはこの日を怒りを込めて「屈辱の日」と呼んでいます。米軍は、重検とブルトーザーによって、住民の土地を暴力的に奪い取り、基地を拡大しました。県民の人権は全く無視されました。私が小学校に入学した年に、6歳の少女、永山由美子ちゃんが、米兵に拉致され、合間された挙句、残殺され、米軍のごみ捨て場に捨てられました。そして、私が小学校6年生の時に、当時の石川市の宮盛小学校に、米軍のジェット機が墜落をしました。パイロットは脱出しましたが、児童11名を含む18人が、一瞬のうちに命を奪われました。高校1年生の時、那覇市で米軍トラックが信号を無視して、集団下降中の中学生の中に突っ込み、少年を跳ねて即死させました。黒幕事件と言われています。ところが、犯人の米英は軍法会議で無罪になり、何の咎めも受けませんでした。高校の3年生の時には、読谷村で米軍ヘリがトレーラーを民家に落下させ、小学校6年生だった田原孝子ちゃんが下敷きとなりました。大学生の時にも、伊都満市で米兵が飲酒運転で、近所を豊さんという女性を引き殺しましたが、無罪方面となりました。あまりにも屈辱的でありました。アメリカの軍政下で、沖縄県民の命は虫から同然に扱われたのです。沖縄県民の粘り強い運動により、1972年に沖縄は本土に復帰しました。その時、県民が願ったのは何であったか。当時の琉球政府の矢良長平主席が策定した復帰特別措置に関する県議書は、次のように述べています。県民が復帰を願った真情には、結局は国の平和憲法のもとで、基本的人権の保障を要望したからにほかなりません。基地あるがいえに起こる様々な被害、公害や取り返しのつかない多くの悲劇を経験している県民は、復帰にあたっては、やはり従来どおりの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。県民が求めたのは、平和憲法のもとに復帰することであり、基地のない平和の島として復帰することでした。ところが、日米両政府が締結した返還協定の中身は、日米安保条約に基づき、アメリカの沖縄で軍事基地を保持し、占領下で構築した基地をほとんどそのまま存続させるものでした。この返還協定は、沖縄県選出の瀬永亀次郎議員、浅瀬隅一郎議員、この2人の質問が予定されていた前日の特別委員会で強行採決されました。矢羅主席が、県議書を政府に提出するため、東京に降り立とうとする直前のことでした。矢羅主席は、その時の思いを「沖縄県民の気持ちというのは、全く平理のように踏みにじられた」と日記で述べています。復帰後も、米軍が優先され、県民の命は脅かされ続けております。1995年には、小学校の女の子が3人の米軍に拉致され、レイプされました。2016年にも、米軍属が女性を暴行し、殺害しました。2004年には、沖縄国際大学に米軍ヘリが、2016年にはオスプレイが名護市の海岸に墜落しました。2017年にも、米軍ヘリが高江の民有地に墜落し、その同じ年、保育園や小学校に部品を落下させました。米軍には航空砲が適用されず、無法な低空飛行を繰り返しています。コロナ禍の下でも、米軍基地に直接入ってくる米軍関係者を日本側は検疫することができず、沖縄でのパンデミックを引き起こしました。今、有機物素化合物PFASが県内各地から高濃度で検出され問題となっていますが、日本側は、汚染源である米軍基地の立ち入りを調査することができません。さらに、日米両政府は強権的に辺野古の新基地建設を進めております。県民は、県知事選挙や国政選挙、県民投票によって反対の意思を示し続けておりますが、政府は全くかえり見ていません。これが民主主義国家と言えるでしょうか。法の憲法の上に日米安保があり、国会の上に日米地位協定があるもとで、県民の人権は今も蹂躙され続けております。ここに、憲法と現実の深刻な乖離があります。この沖縄の実態を放置したまま、憲法改憲議論を進めるなど許されるはずがありません。私たちは政治家がやるべきは、憲法を変えることではなく、憲法の原則とかけ離れた沖縄の現実、すなわち地位協定などを変えることを強く申し上げておきたいと思います。次に北上…ん?有志の会の北上慶郎です。

1:49:49

北上慶郎君。

1:49:51

先週、自衛隊の権限の制約のあり方についてお話ししました。警察法的なポジティブリストとなっていて、取り分け憲法解釈と法律によって、この自衛権を制約していることが特色だということを申し上げました。先ほど幹事長の幹事長から、憲法解釈をそのまま9条に明文化するとポジティブリスト化するとおっしゃいましたが、もっと言うと、そもそも我が国はポジティブリスト的になっているということを前回申し上げました。これは通常の定義とは異なりますけど、我が国の文明統制の範囲が、憲法解釈と法律による規制をも含めていると表現することもできると思います。そこで今回は文明統制、すなわち政府と軍、政軍関係について考えてみたいと思います。サミュエル・ハンチントンという方がいます。これは文明の衝突で有名な政治学者であります。その著書で「軍人と国家」という古典的著作がございます。その中でハンチントン氏は、いかなる国の軍事制度も2つの要因によって形成されると分析しています。1つは、その国に対する軍事的脅威を防ぐために必要な機能的要因。どうやって国を守っていくのか、効果的に守っていくのかという要因。2つ目の要因は、国内の支配的な社会的勢力とか、イデオロギーとか諸制度から生まれる社会的価値観であります。言い換えれば、一国の文明統制の在り方は、その国を取り巻く地政学的環境と同時に、国民の支配的な価値観によって形成されるということだと思います。これ自体、そんなに珍しいことを言っているとは思いませんが、問題は、社会的価値観を満足させる文明統制の在り方が、必ずしも機能面で効率的効果的であるとは限らない。他方で、機能にのみ特化した軍隊では国民から受け入れられないということです。したがって、文明統制を考える上で、この2つの要求をいかに満たしていくかということを検討することが重要だと思います。ハンチントンの考えを我が国に当てはめると、自衛隊の機能をかなり制限しつつ、日本独自の、先ほど進藤委員がおっしゃった、日本独自の平和主義の価値観を満足させてきたと言えます。しかし逆に言えば、自衛隊の機能、権限を抑えることができたのは、1つには、冷戦の主戦場というものが、欧州などにあり、ソ連からの直接の侵略の可能性は低かったこと。2つ目には、日米安保条約により、米国の圧倒的な軍事力の庇護のもとに入っていたことが大きいのではないかと思います。こうした条件のもとで、当初は自衛権すら否定していた憲法解釈は、冷戦を背景に必要最小限度という解釈に変更され、自衛隊が創設されました。米国の強力な抑止力がある中で、先週防衛で事なきを得たと思います。そして冷戦崩壊直後には、平和の拝答の時代というものが歌われて、これは覚えていらっしゃる方は少ないと思いますが、冷戦が崩壊して、戦争がない時代に入ったと。みんな国境を越えて、人種を越えて、みんなで手をつないで、裸でアコギをかき鳴らしながら歌を歌って、そういう牧歌的な甘美な夢がほんの一瞬見ることができましたが、これも9.11を起因に、テロに対する戦いによって無惨にもこの夢は破られたわけでございます。と言っても、我が国に対する本格的な脅威は、その時点ではまだ存在しなかったので、中東などへの海外派遣の方に、みんな目を向けていたわけであります。そして米国に過度に頼らないような、自主防衛の努力をサボってきたということです。しかし15年前ぐらいから、中国の軍事力、経済力が目覚ましく成長するとともに、彼らの戦略的思惑が必ずしも有効的でないということが判明してきました。尖閣諸島、東シナ海、南太平洋の海と空に向けて、彼らの老いえげでもある忍び足侵略主義が着々と進められてきました。つまり反侵との言う、知性学的環境というものが大きくかかってきているんです。テロとの戦いの時代、平和の配当の時代、いや冷戦の時代にも増して、我が国が直接脅威にさらされています。また頼みの綱にしてきた米国も、その国力が相対的に低下し、国論も二分化しています。こうした中で自衛隊の権限機能がこれまでどおりいいのか、少なくとも議論はしましょうというのは、そんなに非常識なことではないかと思います。常識的かどうかというのは、反侵との言う社会的価値観が今どう変化しているのかということによるのでしょうが、それを明らかにすることこそが、憲法改正の国民投票の役割の一つではないでしょうか。一部で中国問題は、米中対立という文脈で語られます。日本が別に脅かされているわけではない、米中の対立に巻き込まれるべきではないと。しかし歴史的に見ますとね、オバマ政権とトランプ政権の初期の頃までは、事情は逆でした。米国の建国精神である孤立主義、そしてそのグロテスクな表れである米国第一主義は、中国共有論に対してほとんど関心を示していませんでした。むしろ日本の安倍政権が一生懸命、クワッドを創設したり、集団的自衛権を一部認めたりして、米国に何とかこっちの方を見てくれと、中国が怖いということを訴えることで必死でありました。しかしこれもですね、2020年7月に中国が香港を弾圧した際、やっと米国や英国などが対中避難をし始めたら、我が国は急に一歩引き下がって、まあ補充をいつにしませんでした。当時のフィナンシャルタイムズでは、日本は20年かけて中国にもっと厳しく対応すべきだと、世界に訴えてきたと。しかし香港に国家安全安定法が制定されたことに対し、米国やその同盟国が、より中国に対して敵対的な反応を示すようになり、日本の訴えが通じたと思った途端、日本は後部座席に座ってしまったというふうに報道しています。つまり、もともと中国抑止論を唱えていたのは日本です。物理的にも中国の拡張主義を恐れなければいけないのは、米国よりも我が国だと思います。こうした中で自衛隊の権限が今までどおりいいのかということを再検討することは、極めて自然なことだと私は思います。もう一人ゼリフは終わりますけれども、私の孤立した議論よりも、もっと共通の理解のある議員任期の延長とか、こういった具体案がございます。特に参議院の緊急集会については、まだ、私はそう思いませんけれども、まだ詰めるべき論点があるそうなので、ぜひそういったところに審議を絞ることを求めて、私のご意見といたします。ありがとうございました。はい、一旬目の各会派からの発言が終了いたしました。次の発言に入りますと、予定していた時間が大幅に長過することとなりますので、本日はここで終了することといたします。次回については、これを踏まえ、幹事会等において対応をいたしたいと存じます。これにて、討議は終了いたしました。次回は候補をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。

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