1:30
ただいまから、外交安全保障に関する調査会を開会いたします。委員の異動についてご報告いたします。昨日までに、濱田卒氏くんが委員を辞任され、その補欠として宮口春子くんが占任されました。外交安全保障に関する調査を議題といたします。本日は、21世紀の戦争と平和と解決力、新国際秩序構築のうち、国連改革、アンプリ改革、専門機関の強靱化について、3名の参考人からご意見をお伺いした後、質疑を行います。ご出席いただいております参考人は、東京大学名誉教授北岡慎一くん、公益財団法人国立京都国際会館理事長赤嶋康くん、及び国際キリスト教大学特別招聘教授、元国際連合日本政府代表部特命全権大使常駐代表吉川本秀くんでございます。この際、参考人の皆様に一言ご挨拶申し上げます。本日はご多忙のところご出席いただき誠にありがとうござ います。皆様から忌憚のないご意見を受けたまわりまして、今後の調査の参考に致したいと存じますので、よろしくお願いいたします。次に議事の進め方について申し上げます。まず、北岡参考人、赤嶋参考人、吉川参考人の順にお一人、20分程度でご意見をお述べいただき、その後午後4時頃までを目途に質疑を行いますので、ご協力をよろしくお願いいたします。またご発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、ご承知をお聞きください。なお、ご発言は着席のままで、稽古でございます。それではまず、北岡参考人からお願いいたします。
4:05
北岡でございます。本日は大変重要な会合にお招きをいただきましてありがとうございます。私は日本の外交を教えて、研究史を教えており、また2004年4月から2006年の9月まで、特命全権大使、国連代表部、自責代表を務めさせていただきました。その後、関連ある仕事としては、2015年10月から昨年2022年の3月まで、JICAの理事長を務めてまいりました。以上の経験をもとに、今日はお話をさせていただきます。さて、遅らいな危機に関してですね、国連に対する失望が非常に広がって、国連は無力だということをよく言われるわけであります。しかし、私から見れば国連は元来無力なものでございます。自前の力もありませんし、自前の財源もありません。しかし、無意味ではありません。非常に重要なものであります。どういう意味かと言いますと、それは世界の世論を作っていくというのは、ここが一番中心だという点で大変重要だと私は思っております。その中核にあるのは、もちろんアンポリーになりますけれども、このアンポリーでは2005年の改革が挫折した以来、ほとんど進展はないのが実態であります。日本はその旗頭であったわけなんですけれども、以後、いつも国連総会では常任・非常任の両カテゴリーの拡大ということを主張するだけで、それ以後進展はないというのが実態であります。で、遅らいな問題においてはですね、アンポリーは瀕死の状況にあると言ってもよいわけなんですけれども、同時にそれはアンポリーを改革しなくてはいけないという機運が盛り上がっているという意味でもありまして、一種のチャンスでもあります。これま で非常に消極的だったアメリカの態度は少し今は前向きになっているという事実があります。ただですね、この遅らいな問題が早く解決してほしいんですが、解決したらまたおそらくモメンタムを失われるでしょう。ですから、ぜひ、遅らいな問題を解決するためにもですね、この活用で改革を進めたいというふうに思っておる次第であります。さて、これを考えるためには私は、やはり2005年の挫折の総括をやっぱりしておく必要があるというふうに思っておるわけでありまして、これは、赤嶋さんもそれから、当然吉川さんもこの点を詳しくお触れになる可能性ありますが、最初に私が当たったもんですから、私がこの点ちょっと一番価値を伺うこともあってお話させていただきたいと思います。2004年にですね、コフィー・アナン事務総長が提唱されたハイレベルパネルで国連改革に向けていろんな案が議論されました。2005年が国連創設60周年でありましたので、それに向けて改革をすると。その一部としてアンポリ改革が議論されたわけであります。そして、モデルA、モデルBの2つの案が、細部は省略しますが提唱された。1つは常任理事国を6つ増やそうと、それから非常任を3つ増やすと、つまり24になるわけであります。モデルBというのは常任は作らない、その代わりに再選可能な長期議席、現在は非常任議席は2年で、一度2年済んだらやめなくちゃいけないんですね。でなくて、これ2年じゃなくてもっと長くして、また再選されれば続けてやれるというのを8つ作ろうと。で、非常任は1位増やそうという案が出ました。これは色々なバリエーションがあって、これ以外の案もあり得るんですけれども、基本はこの今言ったようなものであります。これに対して、日本、ドイツ、インド、ブラジルはですね、G4というのを作りまして、このモデルAに基づいた案を提唱していったわけであります。これはなかなかとても大変難しい話でありまして、その憲章改正のためには、加盟国の3分の2以上の賛成が必要だと。当時191カ国でありましたので、3分の2といいますと128でありまして、国連というところは、多くの国は微妙な問題になると危険で逃げるんですよね。ですから多くの、色んな決議案は、例えば60対50で可決とかそういうのがあるんですけれども、これについては危険もダメと、賛成が128必要だという、極めて難しいハードルであります。これは裏を言えば、国連は選称国が中心になって できた組織であります。選称国が作った組織は変えたくないと、なかなか変わりにくいようにできているわけであります。我々は、したがって憲章を変えなくてはいけないということで、どうするかというので、まず、枠組み決議案を出しまして、常任の6個、非常任を3つ作ろうという決議案を通して、特にその6つには、どこが当てはまるべきかを選挙して、2番目に。そうすると、国が入った憲章改正案を作って、これをかけると。ですから総会を3回やるということを考えたんですね。それでその後に、それをもし通ったら、それを各国が批准すると。3分の2以上の国が批准しないと発行いたしません。その際、常任理事国は全部批准しないといけないんですね。これは一番難しいんですけれども、かつて非常任理事国を増やしたことがありまして、その時も多くの常任理事国は反対だったんですけれども、途中で徐々に態度を変えて、結局非常任理事国を増やすということはですね、昔、行われたことがありまして、ですから我々はとにかくそれをやっていこうと。最初の枠組み決議案というところで、G4は常任を6つ増やそうと、非常に3つ増やそうという案を提出、推進したわけであります。6つというのはですね、心はですね、もちろん日本、ドイツ、インド、ブラジル、これはですね、先進国の日本、ドイツ、そして途上国でデモクラシーであるインド、ブラジル、未来の大国であるこの2つを入れて、あとの2つはアフリカということが念頭にあったわけでございます。思った以上にこれは我々の方が勢いがありまして、2004年の秋の総会討議では100を超える国がですね、このモデルAのほうに賛成だということを言っておりまして、もしかしたら通るかもしれないと思ったんですけれども、その時に考えていたのは、一番大きいネックは、まずネックを突破するためにはですね、まず小泉首相がブッシュ大統領に直談判して賛成してくれると言うと、お願いに行くと。それから同時に当時、靖国問題が巡って非常にトラブルが多かった、靖国問題について中国に対して何らかの柔軟な姿勢を示すということでですね、中国をできれば賛成に、失礼、アメリカをできれば賛成に、そして中国をできれば危険に持って行ってですね、行きたいと思っていたんですけれども、この2つ立つともはっきり申 し上げて政府がやってくれなかったんです。小泉さんはブッシュさんとの2つ首脳会談で一度も取り上げていないんですよ、2004年の後半以来。我々にとって大変ディサポインティングがありました。そして私は中国情勢もいろんなネットワークで調べていたんですけれども、2004年の末まで中国は反対と言っていなかったんですね。しかし同時に妥協もしなかった。でですね、これも非常にディサポインティングがありました。それで2005年の3月から中国はもう反対を始めたんですね。2005年の4月からアメリカも反対ということを明言しだしたんです。我々としては国連代表の気分は被写格オチで戦っている気分でありました。それでも我々は必死に活動して100票は取れると、うまくいけば110を取れると。可決はできないかもしれないけれども、投票に持ち込んで、そうするとうまくいけば110対反対40、危険40ぐらいの数字にもっていけると。それでこれでも128に届きませんからボートダウンなんですけれども、しかし多数はこれを支持しているという形を作って、来年以降さらに運動で賛成を、支持国を積み上げる、あるいは決議案をちょっといじっていくということを考えていたわけなんですけれども、東京の支持は投票するなという支持がきまして、投票に行かなかったんですね。私は2005年の6月18日投票予定日、そのための予行演習もしてあったんです、代表部で。しかしするなと言ってきたのでできなかったんです。本省はアフリカを大量に取り込めば可決できるということで、アフリカ工作を支持されたんですけれども、ニューヨークで見ていてアフリカの丸ごと取り込みは絶対できないということは分かっていたんですね。結局できませんで、これは流れた。アフリカは差別されていると。差別を克服するためにアフリカに常任自治国に拒否権付きでよこせと言ってきたんですね。拒否権というのは国連では全く不人気であって、拒否権に賛成しているのは5カ国しかありません、おそらく。拒否権付きといった途端にその決議案はもうボズなんですよね。しかしそう言ってきた。本音はアフリカは差別されているからアフリカにも対等の地位をよこせと言うと同時に、しかしどこか特定の国が常任になるのは嫌なんです。例えばナイジェリアがなったら周りの国は全体嫌なんですよね。ナガワがなったらアフリカの中では新山だと、この間まで白人国だったと。エジプトがなったらアラブだと。言ってみると大体反対なんですよ。ですからアフリカは騒論賛成、核論反対なんですよね。だから我々はアフリカを丸ごと取り込むのは絶対無理だから、個別工作でやろうと言っていたんですけど、これを否決されたわけであります。当時日本の分担金は19%を超えておりました。アメリカは22%に迫る数で、それでもできなかったので、このアプローチを今後続けるのはほとんど不可能だと私は思っております。もう一つの問題は、これまた外務省の友人諸君には申し訳ないんですけども、なぜどうやって失敗したかということの総括がちゃんと行われていないんですよ。ですから当時出先でみんな一生懸命働いていた大使に、なぜこういうわけでできなかったと申し訳ないということを説明していないんですよね。これは日本の政治の大きな欠点で、何かやった後総括しないというのはよくあることなんですけども、ぜひ今後よろしくお願いいたします。私は今考えているのは、日本はここで純常任理事国モデルBに降りたらどうかというのが私の意見でございます。仮に日本は作って、これまでのモデルAは絶対できないので、国連ではいつも常任・非常任の拡大と言っているんですけども、それは絶対できないということなんですよ。みんな日本がいつものことを言っているな、本気じゃないなと思っているだけなんです。もし日本が新しいアプローチを取ると、純常任で行くんだと言ったら、おっというふうに耳を傾けるでしょう。仮に任期4年とすれば、選挙では絶対日本は通ります。そして再選も多分できると思います。ただ2回やったら多分1回休んで、また次やると。そうすると、4年やって、4年休んで、8年やって、4年休んで、8年やって、4年休むというぐらいになって、今よりずっといいと思うんですね。今は2年やったらだいたい5、6年休まないと次になれないんですよね。アンポリー非常にやりたいという人が多いわけで。重要なのは、このアンポリーにて何を言うか、何を発言するかということが大事であります。日 本独自の、基本的に日本は自由主義の立場にいるんですけれども、日本のメッセージを出すことで世界に聞かせるということが大事だと思っております。もう1つ重要なのは、拒否権へのチャレンジであります。アンポリ科学で一番言われるのは、構成、コンポジションとそれから拒否権、これは運営方法で、その各は拒否権であります。昨年、李秩天主大院が提案した、長年話題になっていた案がやっと通ったんですけれども、拒否権を行使した場合は、それを総会で理由を説明せよというので、一歩前進ではあるんですけれども、木で花くくったような説明をしておしまいなんですね。さらに申し上げますと、李秩天主大院という国は小さな国ですけれども、素晴らしい場所の立派なハイライズの上の方に綺麗な校庭がありまして、そこの大使は多分20年くらいやっているじゃないでしょうか。そうすると、やっぱりすっかり顔なんですよね。そういうアプローチをいろんな国がやっているということを、お参考に申し上げたいと思います。アジアでもラオスの大使なんかが、やっぱり十数年やっていて、やっぱり小さな問題だったらすぐ処理してくるんですよ。大きな問題は動きません。だけども、そういう人脈、顔、長くいることって、とても重要だということをついでに申し上げておきたいと思います。それで、拒否権をやめようという提案をもししたら、まず真っ先にアメリカは反対しますし、絶対これは難しい。ただ、時々言われているのは、これも難しいんですけれども、5カ国全部が賛成しなくても、4カ国賛成したら可決にすると。あるいは、つまり2カ国合わせて反対のと言わなければ、拒否権にならないという制度を作ることはできないか。ですから、ここに書きました検証27-3のところに、常任理事国の同意投票を含む旧理事国の賛成で可決となっているんですね。これを常任理事国のうち4カ国以上の賛成が必要だと変えれば、2カ国反対しなければダメだと。そうしたら、多分、中路が決却して否決されるかもしれませんが、もしかして中国にしても、ルシアといつも同じだと言われるのは嫌だというところもあるんですよね。ですから、 これは一理ある案でございます。難しいけれども、こういう案はトライするに値するとは思っています。ただ、日本が旗を振るかどうか、アメリカの同盟国ですからね、ちょっと難しいところがあるんですけれども、その他いろいろあって、例えば紛争当時国は投票すべきでないという大原則があるんですよね。当然ですよね。紛争でディスピューターしている国は投票するなというのもあるんですけれども、多分、ロシアはこれは紛争ではない。自衛だと言うでしょうね。なかなか難しい。それから、手続事項については、いくつかの条件付きで拒否権ないんです。ですから、今年はロシアが議長好きだと。しかし、この問題はロシアは当事者だから、ロシアが議長がいるのはおかしいということを言うことは、技術的には可能なんです。しかし、これもなかなか常任理事国の前でそういうのは難しいので、これをトライした人もいるんですけれども、なかなか難しい。日本はなかなかできないでしょうね。それは、実は常任理事国の間で特権を維持するために、暗黙の合意というのは実はあ るんですよ。ですから、アメリカの国連大使というのは、割合、同盟国日本よりも、中国、ロシアと仲良くすることが時々あるんですね。それはその頃ではない。最近は違うかもしれません。さて、日本の責任ということを考えますと、日本は今でも常任理事国を作るとすれば第一候補だと思います。経済は衰退しておりますが、それでも勢いのあるインド、ブラジルというのは、あんまり好かれていないんですよ、周りから。それからドイツは、ヨーロッパが多すぎると、もうエイフスは常任じゃないか、三つ目はいらないという声があって、そういう意味で人を作るとすると、やっぱり日本なんですね。その日本がアンプリ化学化をやめたと言ったら、アンプリ化学化はもうできないということなので、私は日本はアンプリ化学を進める、リードしていく責任があると思っております。この際、途上国がなぜロシア制裁に消極的かということをまた申し上げれば、それは先進国のダブルスタンダードであります。一番大きいのは。2003年にアメリカは十分な国連決議なしにイラクに攻め込んだのではないかという批判があり、それからまたアフリカの多くの国は長年イギリスあるいはフランスの植民地でありました。その植民地独立闘争、時には血なまぐさい闘争で支援した国の一つはソ連だったわけですね。そういうのがありますと、なかなかロシアと手を切りにくい。それだけではなくて、彼らアフリカの国なんかは、よその国に介入されるのは嫌なんですよね。具体的にICCというのがあります。ICCはスーダンの大統領なんかには逮捕状を出すんですよ。アルバシールという逮捕状を出すと。プーチンに出せますか。出すんですけども、これ執行できる可能性はゼロですよね。そうすると結局、こういう国連の崇高な目的のためには内政干渉を持たないというのは、小さな国がやられるだけで大きな国はやられないじゃないか。こういう弱いものいじめには反対だというのが多いんですね。そういうメンタリティの国々から見ると、一番まだマシなのは日本です。日本はアフリカの植民地統治をやっていませんし、他の点でも強引な内政干渉というのはあまりやりたがらない国であります。そういうわけで私はこの点において、かつて国連に入った時に茂道さんが東西の架け橋になるといったような意味において、大事な のが日本のそういう立ち位置だと思っております。日本はG7の中で唯一非西洋の国であります。そしてかつて途上国として苦労した唯一の国であります。ですから、途上国の立場に寄り添って先進国の側に引き寄せていく、その重要なポジションにいるのは私は日本だと思います。そういう立場を踏まえた国連改革案を出していくということが重要だと思っております。具体的には総理の下で有識者会議を作って、具体案を出すと、アンプリ改革って非常にテクニカルな面があるので、具体案を作って世界にアピールしていくと。今、グテレス総長の下にアンプリ改革を目指す案を作ろうという動きがあると聞いております。これと連動しながら、日本はこういうのがいいと思うということを打ち出して、世界の国々に働きかけて、できれば今年の秋の国連総会、ちょっと間に合わなければその先になるかもしれませんが、日本がイニシアティブを取って他の友好国と一緒に案を作っていくと。その前にまず日本で案を作っていくと。例えば、赤嶋先生の方を座長にして、案を作って世界中に働きかけていく。そういうようなことをやるのが望ましいのではないかと思っております。そのためにも日本は、都城国に対するアプローチをもっと強化すべきだと。日本自身の近代化、発展というのが都城国にとって非常に大きな魅力なので、これを支援するための活動をもっとやったらどうかということをフォローには書いてございます。これは時間の関係でここで一旦終わらせていただきますけれども、私どもは海外からの研修生に日本の発展を教える。また海外のトップの大学に小さな講座を作って、日本の近代化の歴史やODを教えるというのは非常に好評なんですね。こういうことをしながら、さっき言ったようなアプローチをしていくのが良いのではないかというのが私の考えでございます。以上でございます。どうもありがとうございました。ありがとうございました。それでは次に赤嶋参考人にお願いいたします。
24:42
井口会長、ありがとうございます。本日は北岡先生と吉川 先生に挟まれて、学級ではないただ一人の私はちょっと緊張しております。しかし本日我々の大きなテーマである国連改革、特に安保理改革というものは非常に重要な消費の関心事であることは、本日このご立席の参議院の折り切りの皆様方がここに参集しておられ、真剣な趣でおられることを見てもよくわかります。いただいた20分で私の言いたいことが全部言えるかは、ちょっと心もとないところでありますけれども、できるだけ駆け足で私の申し上げたいことを申し上げた上で、ご立席の皆様方から鋭いご指摘をたくさんいただければ非常にうれしいと思っております。
26:35
ちょっと私は年のせいもあると思いますけれども、国連の歴史というものを駆け足で振り返りたいと思います。そのうち国連の長い歴史の中でも、冷戦の時代というのはほぼそのうちの半分を占めておると言えると思うんですけれども、冷戦の時代というのは国連にとっては、あまり比較的動きとか活動のない時代であったとも言えると思いますけれども、
27:23
振り返ってみますと、結構その中にも重要な時点がいろいろ発見できるというのは、ご承知のとおりではないかと思います。米ソの対立というのは、第二次大戦が終わって、もう終わったその頃から特にアメリカと当時のソ連との関係が悪かったということは明らかですけれども、国連は45年にできたわけでありますけれども、かなり米ソ対立という火花はもう吹き出しておって、
28:15
国連憲章の45条には国連が国連軍といったようなものを作った場合に、その場合にどのようなサイズの兵力でもって、どういう構成の国連軍を作ったらいいだろうかという交渉を、特にアメリカと当時のソ連で始めたわけですけれども、47年にはすでにそういうものを作ることが極めて難しいということが明らかになりました。にもかかわらず、2つの地域、中東地域とインドとパ キスタンの間のカシミール地域というのが、継承地としてもう浮かび上がっておりましたけれども、この2つの地域に関しては、結構プロ的な観点から、私は2つのPKOが発足したと書きましたけれども、正確にはPKOではないわけですけれども、プロである定線監視員が中東でもカシミールでも配備され、この時48年にできた2つの地域での国連のプレゼンスというものは、現在まで続いておるんですね。だから国連はその歴史においていろんな危機に当面して、いろんなものができたりいろんなものがなくなったりしましたけれども、結構向上的なプレゼンスと、また国連の持つ1つの中立性とか普遍性、インパーシャリティという意味ですけれども、というものは当初から今まできちんと認識されてきているということは注目すべきであると思います。それから1950年に、西側諸国にとっては突発的なことでしたけれども、朝鮮戦争が起きて、北からの侵略が起きました。その時、ソ連の代表はアンポリを欠席しておったんですね。憲章を読めばお分かりになるとおり、アンポリというのは欠席してはいけない国連機構なんですけれども、当時のソ連は中国代表権の問題 で抗議をするためにアンポリをあいて欠席しておったんです。ですから、北からの38度線を南下する北朝鮮軍に対する南側からの反応というのはアメリカ中心に行われたわけなんですけれども、アメリカは早速それに対する武力での抵抗を始めました。その時の南側の軍は国連軍というふうになっているんですけれども、本当は国連軍ではないんですね。本当は多国籍軍であったわけですけれども、国連軍という名前と国連の旗の使用を許されたということで反応することが可能であった。そしてソ連がしくじったということで慌ててアンポリに戻ってきた時にアンポリは動かなかったわけですね。ですからアメリカも地位者がおるんで緊急特別総会というものを設けようということで総会のイニシアティブで作ったそういう軍隊、そういうものが招集されて朝鮮半島に派遣されるということに早速なりました。そういうことで緊急特別総会の制度というのはその時にできて、ご承知のとおりウクライナとロシアとの戦争においても何度か緊急特別総会の形で招集され、そこでは拘束力のある決定はできませんけれども、そこでの決定が持つ道義的な政治的な意味というものは決して過小評価することはできないものであるのは、皆さんはご承知のとおりです。その後も 我が国が国連に加盟したのは1956年の12月、総会でそれが決まったのは12月の18日であったと思いますけれども、私はそこで清水外相の加盟の演説を聞きましたし、アジアの代表として九州のアメナウン、インドの代表が、また日本と戦後非常に親しい関係を、特別な関係を持ってきたアメリカのカブトルッジ代表が、二人とも非常に日本に親近感のあふれた素晴らしい演説をしました。私はその翌年、ある景気で国連の安全保障理事会の専門職の人間として国連職員になって、その時から日本の特に政治面での活動を見てきたんですけれども、1957年の初めから非常に日本の国連における行動は、地向く側におった、私からも歴々とわかるような形で、日本はラオスに関する特別委員会の委員長に日本の外交官がなるし、レバノン危機に際しても、当時の事務総長のハマショルと非常に密接な形でレバノン問題で行動できたのはまさに日本だったわけで、その行動は極めて鮮やかなものがあったと思います。そんなことで、その後の国連は政治的な動きというよりも、1960年代においては、アジア、アフリカ、カリブ海、その他で新興国が次から次に国連のメンバーになりまして、国連の加盟国は本来の当初の51からもう3倍近くになっていったんですね。また、その中での開発途上国の数も大変増えまして、70年代においては、まさに途上国と先進国との対立の場としての国連、火花を散らすような南北問題における対決というのが、1975年をトップにして行われることになりました。そういうふうにして国連は変わっていったわけですけれども、ポスト冷戦期になりまして、1990年代、90年を境にして、国連にはブトロスカーリというまさにちょっとガリガリの野心的な人物保障がイジブトから出てきまして、不意外の課題という大変にアンビショスな問題意識を表したし、ガリはその後はそれを多少修正するものを3年後に出しました。92年の1月には、たまたまアンポリノ非常任命国であったわけですけれども、92年の1月における首脳レベルのアンポリノ会議に、国から宮沢総理が出ておられて、実際でやや眠たそうな総理の表情を私は今でも思えております。やっぱり、ポスト冷戦期になった時の日本の態度も、また国連全体の雰囲気も非常に行動的で、またオプテミスティックなものがあったと思います。ここで挙げているように、アジアの一角であるカンボジャにおいて、またアフリカの一角であるモザンビーク、それからラテンアメリカにおいてはエルサルバドール、それぞれのPKOがともかく成功に終わった。特にその中でも大規模であったのはカンボジャのPKOであって、まさに軍人と文明、それからボロンティアまでいりますと、22,000人に達する大規模なPKOが見事にクメル・ルージュの反対運動を蹴散らして、カンボジャにおける民主国家の成立というものが、20年間そういう投票というものがなかった国において、民主主義の旗を立てることができたというのが画期的であったと思います。しかしながら、いいことはあまり長く続かないので、90年代の中頃から難しい状況が生まれました。まず、アフリカの一角であるソマリアのPKOというのは、アメリカの海兵隊とかパキスタンの兵士にかなりの犠牲者が出てきまして、うまくいかなかったわけです。それからルアンダにおける、2つの大きな民族といいますか、種族といいますか、の対立と殺戮行為があって、ルアンダもうまくいかなかった。それからその次はヨーロッパの一角である旧ユゴスラビアが、地頭が倒れた後、3つの民族の間における地理地を洗う大変な状態になりまして、特にボスやヘルスコビーナーでは、国連の保護軍というのが救われて現地に派遣されたんですけれども、やはり国連の手に負えないような状況が生まれることになりました。アンポリーにこの問題が出されたわけでありますけれども、私はその時のアンポリーの行動を現地でも見ておりましたし、非常に残念だと思うことが多かったんですけれども、アンポリーは非常にある意味では活発であったわけで すけれども、不幸にして、現地とニューヨークのアンポリー事態との協力というものが残念ながら見られないままに、6つのいわゆる安全地域、セーフエリアと称しておりましたけれども、そういうものが現地の状況を見ないまま作られていった。そのうちの一つであるスレベニッツァというところで、7000名以上のイスラム系の男子が無残な形で虐殺される事件がありました。その頃、アンポリーの血液とか、胰臓生命は約200も採択されていきましたけれども、アンポリーの生産性というのは、血液の数では決して測ることができないんですね。それの持つ現実感覚といいますか、そういうものをきちんと持っていない場合、非常に事務総長とアンポリーのメンバーとの関係もおかしくなっていきますし、アンポリーが非常に現実性を欠いた動きをすることになります。それから国連はユーゴスラビアの現地において、ナートと密接に協力したわけで、ナートの空軍力を必要としたわけでありますけれども、ナートと現地における国連PKOとの意思の卒を書かないためにも、2つの機構にはデュアルキーシステムと、ナートが1つの機能を持ち、国連が1つの機能を持つ、そのことで空爆の発動というものをスムースにしようということがあったので、ナートの南部方面軍の総支力官だったアメリカ人のボーダー提督という人と、国連側の機能を持たされたのは私だったわけですけれども、この2人の関係は非常に密接で、無駄な武力交渉は絶対にしないというボーダー提督の態度に私は100%賛成しておりまして、彼がナートの鍵を持っている間は、国連とナートとの関係はスムースだったんですけれども、その後ボーダーがいなくなって問題が発生することになりました。そんなことで国連は難しい状況に入ってきた。2000年の8月にはブラヒミさん、この人は国連の事務総長特別代表としては、出職の元アルジェリアの外務大臣だった人なんですけれども、国連にはできることとできないことがある。できることに一生懸命力を入れて、できないことには手を出すべきではないということを言って、いろんな意味でPK-02が拡大していく国連に、彼は厳しい検知からその過ちを正して、国連らしいリアリズムに立つことを告げたわけですね。私はちょっとその後のところを端折ることにしまして、一番最後のところだけ。アンポリ改革と日本はこれからどういう道を歩むべきかということ。非常に明晰な分析を先ほど北岡先生からされたので、私から同じことは申しませんけれども、残念ながら日本の相対的な力、ひとつで経済力でありますけれども 、これが落ちてきているということは紛れもない事実でありまして、日本が追求すべきなのはアンポリにおける常任理事国ではもはやなく、非常任理事国の現在の状態を維持することでもなく、純常任理事国とも言うべき、拒経なしのそこに存在し役割を果たすという役割であると、私はそれしかないのだと思います。拒経はある意味こちたことはないかもしれませんけれども、日本とのアメリカとの関係から言いますと、アメリカが必要だったら使ってくれるであろうことが極めて多いでありましょうし、私は日本はアンポリにできるだけ長く参加しておれる、そこの審議に参加し、また必要があれば交渉の方になって参加するということが可能でもあり重要でもあるのではないかと思います。アンポリ理事会は、皆さんテレビとかニュースで常時見ておられる理事会場が立派に存在します。しかしアンポリ理事会場の隣にちっちゃな薄暗いフェアがあることは、メディアでも知られておりません。しかしそこで行われる審議というのは極めて重要です。公式の発言ではないにしろ、非常に常任理事国であっても、非常任理事国であっても、事務局側の責任者であっても、本当に真実な真剣な交渉を行う。また私はPKOの担当者として、カンボジアの問題、内緒はユーゴスラビアの問題で、この薄暗い小さなフェアでの審議に参加できましたけれども、そこではいろんな消費期を超えて、国連の問題、アンポリの問題を話し振る。そこにできるだけ日本からの優秀な外交官が行って審議に自ら参加し、必要ならば委員施設も取るということは可能でもあり、必要なことは往々にあるのだと思います。アンポリの常任理事国の数を増やすというのは、非常に問題をかえって大きくしますし、実は2005年のアンポリ改革案について北岡先生から説明がありましたけれども、私はいろんな国に行って、アメリカと中国の外交官がいかに日本の参加している四カ国提案を覆すために反対運動をそれらの国々で参加するのを自ら見ました。私は日本の外務省に頼まれて、イチオピアにおいてメリスという大統領に会って、仮とみっちり1時間半通訳なしで話すことができたわけですけれども、メリスも非常にそのことを喜んでおりました。アメリカと中国の反対がいかにイチオピアにおいても実行されているかということを、メリス自身の口から聞くことができたわけでありますけれども、そういう必要とあるときは、それらの国々における外交問題での最高の力のある人と会って、日本の立場とか考え方を説明してあげるということは極めて重要だと思います。赤嶋参考人、時間の関係もございますので、あいまとめいただければと思います。そういうことを申し上げて、常任理事国になるよりも、常任理事国と言うべき役割を果たすということは可能でもあり、必要でもあり、また日本の置かれた地域からいって望ましいということを申し上げて、私の最後の言葉にしたいと思います。ありがとうございました。ありがとうございました。それでは次に吉川参考人にお願いいたします。
52:08
ありがとうございます。私、今日はここにお招きいただいて楽しみにしてまいりました。お二人から非常にいいお話が聞けて、特に赤嶋さん、この本、これは4判で、主版が出ているのは1965年ですよ。その、ぜひお読みになっていかない方は、岩上新書、国際連合。私、今日はロシアのウクライナ侵攻という問題の国連との関係というか国際社会との関係での本質は何か。日本は何をするべきか。それから安保理事会の改革。この3つをお話ししようと思ったんですけど、この順番は北岡先生、安保理の話。今最後にね 、非常にいいことを赤嶋さんおっしゃった。この続きがあるんで、私一番先にこの安保理の改革の話を、しばらくちょっと10分かからないと思いますけど、させていただきたいと思います。お手元にはですね、国連方式で発言メモというのを先に出して、実際この通り読みませんからご心配なく。これはこういうことを言ったらどうかなと思って書いたんで、チェックアゲンストデリバリーでお願いいたします。安保理の改革ですけども、国際社会で法的に拘束力のある決定を下せる機関は、安保理しかありません。シリアの問題で決定ができないとかですね、北朝鮮でロシアと中国が結託して美党を使ったとかですね、いろいろありますけども、安保理の重要性っていうのは変わらないと思うんですね。カンボジアの成功の話は、今、赤市、当時のですね、国連代表がお話しされていたように、成功例いっぱいありますね。北岡さんは無力だっておっしゃったけど、そうだけど、かなり実績も僕は上げてんじゃないかというふうに思います。そこにですね、常時席を占めて意思決定に参加すること、注意してこれ書いたんです。常時席を占めて意思決定に関与することは、日本の考えを反映できて、日本の安全保障にもつながって国益に直結している問題だと思います 。世界第三の経済大国の責務だと思うんですね。他方ですね、安保理事会に座って、いろんな問題に、はい、駄目だとかいいとかですね、言ってると、これはですね、判断を求められるんで、時には当時国から嫌われます。なんでこのように賛成するんだとか、なんでこのように反対するんだとか、だけどそれがやっぱり日本の責務だと私は思います。今度は岸田総理の平和のための岸田ビジョンの中にですね、安保理改革入っているのは結構だと思います。ぜひ検討いただきたいんですけど、国連憲章の改正を伴うっていうことはハードル高いです。非常に高いことは既に北岡先生お話しされて、歴史的な話も今お二人から、特に北岡先生からいろいろお話があったんで、僕が見るところ、国連改革についてはこれまで3つのうねりがあった。1回目のアジアアフリカ諸国が独立してですね、加盟国が51から112とか3とか、かなり増えたときに最初のうねり、これでも簡単に、これは本当に簡単にできましたね。11を15に拡大する。このときのですね、注目するべきは常任理事国の対応だったんですね。北岡先生お話しされた。細かくここに書いておきましたけど、賛成した国は5カ国で唯一ですよ。中華民国。これはあの北京に代表権移る前です。中華民国が唯一賛成した。反対したのはソ連とフランス。2人とも反対。アメリカイギリスは帰県したんですね。今度は第2段階で批准の段階になる。批准の段階になるとですね、なんと一番最初に批准したのはソ連なんです。総会で反対したソ連は賛成したわけ。イギリス、中国、フランス、反対したフランスも早い段階でフランス賛成する。最後の最後はアメリカの上院ですね。3分の2が批准したことを見届けてアメリカは批准してるんです。国連の中でアンポリ改革の話をすると、いやーP5が常任理事国が拒否権持ってるからこの案じゃダメだよ。僕はそんなことないだろう。歴史的に見たらソ連とフランスを反対しといて批准したぞ。特にソ連を真っ先にしてるじゃないか。これ分かりますよね。今中国を例にとってもいいけど、アフリカの国がみんな賛成してアンポリを拡大して我々もその中にちゃんと入れてくれっていう案に、ロシアと中国反対できますか。僕はできないと思うのね。だから大事なことは129票を取って3分の2を取れば、ハードル高いですけどね。P5がキーではない。これが一番目のポイントですね。2回目のうねりのところで言いたいのは、日本にとってはこの問題はすごい大事な問題だったんですよ。1971年、世界に先駆けてアンポリを拡大、アンポリ改革をしないといけない。もうこの時は既に拡大された後ですよ。15カ国になった後、愛知、キイチ、外務大臣はアンポリ改革の必要性を訴えたんですよね。腹の中には日本も常任理事国になりたいというのはあったんだ。だけど言わない。おっしゃったのは94年、河野洋平副総理兼外務大臣。僕はその時の国連担当課長、彼の演説を書いた。起草提案、起草案を書いて、常任理事国として責任を果たす用意があるということを河野さんおっしゃったんですね。その次の日の朝日新聞長官、今日持ってきた。一面トップですよ。一面トップで常任理事国の責任を果たす用意はあり、同時に武力不孝子とも名言、朝日ですよ、これは。各市トップに取り上げた、それはそれだけこの安全保障理事会の常任理事国というのが、日本の国内の中で20何年間もめてるわけですよ。手を挙げる、手を挙げない。今、さっき小泉総理大臣の逸話を北岡先生お話しされましたが、僕が課長の時に、当時小泉厚生大臣を割られて、小泉衆議院議員は、安保理改革について外務省の独創を止める会、会長だったの。連立与党の中の重要なメンバーで、君らが勝手に走るのは俺は止めるっていうことをおっし ゃってた。その心は憲法改革改正が先だ。憲法改正をしないで常任理事国になると、日本は行使できない軍事行動にさせられるかわからないんじゃないか。私の当時の議論は、それ待ってても国連改革の電車がどっか行っちゃうかわからないですよ。国内と国際が一緒に動くかどうかは、タイミング違いますからね。これはちょっと別の話。こういう新調論はあったんですけども、河野洋平外務大臣が意見表明された94年。94年のその頃に国連に安全保障理事会改革の作業部会ができるんです。もう今が30年ですよ。
1:00:58
この作業部会をつくる会議に僕は行きました。93年の冬ですね。この頃これを仕切ってたのはインドとシンガポール。アジアの国々が、途上国の代表権をどうやって増やすか。そこに行ってその当時の日経新聞の記者は 、日本はこれを重視して国連の担当課長を横下に書いてる。この雰囲気がね、もう熱気に溢れてるわけですね。ほとんど途上国、ヨーロッパいない、日本。そこでやろうとしてるのはこの機会を使いまいる。この機会とは何かというと、冷戦が終わってアンポリは動き出してるんだ。これまで無力だったアンポリはこれからいろんな仕事ができるはず。ここに入ろう。もうすでにカンボジア、赤城さんの活動はちょうど終わった頃ですよ。この熱気と、東京に帰ったら外務省の独創を止める会議。呼び出して、何やってんだって。このギャップ、正直に言って非常に大きいギャップがあるわけですね。我々もちょっと僕らに走らせてくれよ。もうヨーロッパじゃないや、アジアの国、シンガポールですよ。シンガポールの代表部がこの作業部会のターンズオブレファレンスを僕らで議論するわけだもん。こういうのでね。だからそれはやっぱり外務大臣にお願いしてもっと前行きましょうよ。これが93年で結局、この第二のうねりは最後は非同盟が反対して潰れ ます。で、第三回目のうねりっていうのが、さっき北岡先生が詳細にお話しいただいた日本が失敗したっていう時ですね。この時のベースになったのは、アナン国連事務総長が自分で選んだ県人会議の案、A案、B案なんですね。この県人会議には日本からもメンバーが入ってます。尾形貞子、UNHCRがその一人なんですね。尾形さん亡くなられたからわからないけど、尾形先生はB案だったと思う。それは私の教え子としての感じ。ともかく今のポイントは、ウクライナがどういうふうに戦争を終わるか大事ですよ。ただこの後、4回目のうねりを起こすべきだと思う。ほっといたっておきませんよ。風邪っていうのは自分がやらなきゃ。92年の時は、1回目はインドですよ。アジア、アフリカが動かした2回目のうねりの真ん中に日本はいたんですよ。愛知基地であり、河野洋平であり、いろんな歴代の日本の政治家はアンプに入ろう。一番熱心だったのは中曽根、安城、総理。これはもう間違いないですね。日本の国力は落ちていくんだ。発言権をちゃんと取っておこう。G7で、どれだけそのウィリアムズバーグサミットで自分はSS20の配置を止めたか。発言権なんだよっていうね。ここからちょっと言いますと、これもお二人が話されたのと共通にするんですけども、1点目は、日本は90年代から「自他ともに認めるアンポリ改革の旗振りだ」これはもうアンポリの中での重要なのは、私自身の経験では、常時席を占めて発言権を持っている。実際にその赤城さんがおっしゃったアンポリの公式会場の横の非公式会場に行けば、そこでは拒否権を持っているとか持っていない、関係ないですよ。意見を持っているかどうか、そこでそれをちゃんと案文にできるかどうかの 旗揚げ能力を持っているかどうかですよ。2016年の1月5日に北朝鮮が各部実験した。直ちにアンポリが招集されて、そこでアンポリの議長として「いかん表明。これから我々、具体的な措置を取るぞ」という発表しよう。日曜日かな。みんな朝集まって、アメリカの書いた紙をみんなで見る。ロシアはチュルキン、なかなかのすごいおっさんがいてですね、このチュルキン大使が「さささ」と3つぐらいの終文をパパパッと言うんで すね。で、僕はそこで1番目の、2番目かな、彼が入れた。メジャーズをリスポンスに変えている。さらっと。いやダメだろ。メジャーズは安全保障理事会の理事会の用語だよ。国連憲章、措置、リスポンス。これ何をやってもリスポンスになる。いやリスポンスダメだよ。メジャーズだよ。彼はふんって笑って、もうすぐ降りるわけですね。それは出してみてみんな黙ってたら、リスポンスで通るかわかんない。拒否権のあるなしに関わらず、理事国はアンプリで対等に議論ができます。いなきゃダメよ。いなければアメリカに日本の大事な点はこれとこれです、やっといてね、みたいなね。フクワ術でね、国益は守れませんよ。私はですから、お二人と同じ意見ですね。言い方いろいろあると思いますけど、できるだけ任期の長い。任期の長い。私の名前はスタンディングメンバーなんだ。ノンパーマネントっていうと、セミパーマネントだとビジネスクラスみたいな感じに、ファーストじゃない。非常任、いや純常任、純って僕嫌だな。スタンディングメン バー、これは常時います。拒否権はないです。今聞いたところ、北岡先生、赤嶋代表、同じ意見。亡くなった大島健三さんが国連大使を辞めてからは、常任理事国なかなか難しいぞ。僕も辞めてからは、スタンディングメンバーがいいんじゃないかと言ってるんですけどね。ただ、これは私の実感としても、現場にいないとダメですよ。ただ、冠盛りだけもらっててもダメですよ。だって日本が常任理事国になりました。拒否権使うってどこで使うんですか。そんなもんはいらないと思う。ということで、ちょっと言いたかったことを残って、本題の方というか、一番目の議題なんですけど、私、このアンポリの機能不全とウクライナの問題、特にこのウクライナの問題は非常に本質的な問題を抱えていると思うんですね。それは、ロシアがやってることは、国際の平和維持という常任理事国ですよ。大きな責任を託されている常任理事国が、ここから先が大事な、意図的に、一番ですね、重大な国際法違反を犯している。常任理事国が意図的に重大な違反を犯している。これが最大の問題で、例えば、クエットがイラクに侵略さ れた、それで多国籍軍を出した。これは、イラクという普通の国が重大な国際法違反を犯したケースですから、こういう場合にはアンポリ事態で制裁決議をするとかですね。これは可能なんですね。ただ、常任理事国が違反を犯しても、拒否権を持っているから、何にもできないわけですね、その国に対しては。ここが根本的な違いだと思うんです。ウクライナのゼレンスキー大統領は、去年アンポリとか日本の国会にもいらっしゃって、国連アンポリからロシアを排除しろ。ロシアはその名前に値していないアピールを行われましたけれども、ロシアの意に反してロシアを国連から除名することも、アンポリの議席を剥奪することもできません。これは無理です。今起きていることは、僕は国連憲章の想定外の事態だと思うんですね。だから想定外の事態なんで、国連自体では対応できない。何もできないわけですから。だからできていることは、国連の外で経済制裁をする、軍事支援をする、こういうことをやってますけれども、それを超えた措置はできてないというか、回答を持っていな い。今度の戦争がどういう終わり方をするかが非常に大きいと思うんですね。仮にロシアがクリミア半島だけじゃなく、ドンバスだけじゃなくて、もっとですよ、仮にとって。そこで戦争がフリーズで、そこで定戦協定か何かやったら、重大な国際違反を、国際法違反を意図的に行った大国が、それを手に入れてしまうことになるじゃないですか。だからこの終わり方によっては、ロシア以外にもですよ、意図的に重大な国際法違反を犯す常任理事国が出てきますよ。というか出てくるでしょう。出てくるかもしれない。だからこの戦争がどうあるかというのは、ウクライナとロシアの問題だけじゃ僕はないと思いますよ。国連の寄って立っているところが、もうグラグラグラになっているわけですから、シリアとかイスラエルとかの問題は、ロシアが自分の関心があるからシリア問題を止める。アメリカはイスラエルを守りたいから、イスラエルパラシナ問題については拒否権を使うというのはありますけど、今度の本質的に違う。ここの部分は僕はやっぱり考えないといけないと思います。ただですよ、このロシア、ウクライナ問題について国連憲章は一つの回答はくれてるんですね。それは憲章51条。国連加盟国には個別的、もう終われと言われますって言ってるので、国連加盟国に個別的及び集団的自衛権を認めておりますから、例えばアメリカがですね、ウクライナの要請によって、EUと一緒に集団的自衛権を発動して戦争に参加する可能ですよ。合法的なら問題ない。NATOに加盟するしない、関係ないですよね。参戦していない最大の理由は、核兵器を持っているロシアと戦争したら第三次世界大戦になるからなんですよね。だから大事なところは、アンポリだけじゃなくですね、国際社会にとってこのウクライナがどう処理されるかっていうのが非常に大きい。そうすると日本の取る政策っていうのはおのずとこう見えてくると思うんですね。日本はロシアによる他国の領土侵害という国際法違反に対して、これを断固批判して、それを行動で示して、ウクライナをできるだけ支援するということが大事だと思います。資金供与だけではなく、私は武器供与も検討するべきだと思います。かつて湾岸戦争でですね、日本は増税までして膨大な資金協力をしましたが、人的貢献をしなかったので、誰からも感謝されなか ったという事実を想起しないといけません。また日本自身がですね、ロシアとの間で北方領土問題を抱えている、ロシアが北方領土を占拠したままになっているということも忘れてはいけないと思うんですね。その際、これからの話は国連残念ながら、そんな協力じゃないですよ。国際正論の話は、数字を入れて、この発言の中に入れておきましたけれども、これからは国連だけではなくですね、価値観を共有する国々との国際機関、グループ、この関係を強化、拡大するということが大事だと思います。典型的にはG7、OECD、IEA、Quad、NATO、日本がNATOに参加するということはないでしょうけれども、NATOがやっているようなことをですね、どこまで日本自身ができるのか。このLike-Minded Countries、価値観を共有する国々との協力、拡大という点では、課題はやっぱりASEANだと思いますね。ASEAN諸国との間で、どういう関係を突っ込んだ関係ができるのか。G7については、相対的な地位が低下しているという批判とかいろいろありますけれども、私は逆じゃないかと思っている。もともとはフランスの反対があって、G7は政治は離さないというのがあったんですよ、昔ね。今やロシアに対する経済政策も、から分かるように、政治問題に決定してますね。決定したことは直ちに実行する、非常に実行性があります。むしろ重要性は増していると思うので、ここからもう一度言いますけど、アンポリに常時席を占められない日本には、特に重要な場所になっています。今年は議長国だし、来月は広島サミットだし、ぜひ指導力を発揮いただきたいです。最後に一言だけ言いたいのは、こういういわゆる多国間の外交というのは、外交官が方々でチャラチャラやる話じゃないんですよ。これは日本の政治です。日本の政治家、政治の仕事なんですよね。政治を動員した仕事。アンポリ改革だって同じですよ。どれだけ国民がこの問題を日本の国益とくっつけて考えているか。多分表にならないと思うな。だけどやっぱり先生方には頑張っていただきたい。積極的な多国間外交を展開するためには、2つ必要ですね。強固な二国間関係、それぞれの国との関係、それから国内ですね。国内での、二国間というとわりは分かりやすいんだけど、国連でどうする、このG7で何かするっていうことが日本の話なんだ。国内政治だっていうところを強調して終わりたいと思います。ありがとうございました。
1:17:17
ありがとうございました。以上で参考人のご意見の陳述は終わりました。これより参考人に対する質疑を行います。本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。まず、大会派順に各会派1名ずつ指名させていただき、その後は会派にかかわらず、ご発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。また、質疑者にはその都度答弁者を明示していただくとともに、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますように、答弁を含めた時間がお一人10分以内となるよう、ご協力お願いいたします。質疑のある方は順次ご発言願います。
1:18:14
よろしくお願いします。自由民主党の長谷川秀春でございます。参議院の参考人の皆様、本日は大変ありがとうございました。とても参考になりましたし、最後には政治家、政治に対する要望等々もいただきまして、肝に 銘じて少し質問させていただきたいと思います。まず、北岡先生にお聞きをしたいと思います。昨年、岸田総理が国連総会のアンポリ会議のその発言の中で、文言ベースの交渉を開始すべき時だということを世界に発信されたというふうに聞いております。それに対して北岡先生は、専門家を集めて、具体的改革案の策定にすぐさま着手すべき時だというふうに述べられていると思いますけれども、ここ、まず第一に着手すべき課題であったり、思われていることを少し教えていただければと思います。よろしくお願いします。北岡さん、後任。はい。文言ベースでやるべき時期だというのは、今まで立法前進であります。だけども、よく日本で言うんですよ、しっかり議論しなくちゃいかん。私はそういうことを言ったら、じゃあ全くその通りだ。じゃああなたの意見をまず言ってくれと。なんか自分から言い出さなかったら、そんな始まりないんですよ。じゃあ日本はどういう立場でいいか。言い出したら一歩も変えないっていうんじゃなくてね。とりあえずこういう案はどうですかって言い出すことが必要なので、その作業に一歩踏み出すべきではないかっていうのは私の意見でございます。