19:34
【会場の音声】これより会議を 開きます。東日本大震災復興の総合的対策に関する件について調査を進めます。この際お諮りいたします。本件調査のため、本日参考人として、東京電力ホールディング株式会社代表執行役副社長山口博之君及び、福島国際研究教育機構理事長山崎光越君の出席を求め、意見を聴取することとし、また政府参考人として、内閣府大臣官房審議官植村昇君、内閣府大臣官房審議官森下康史君、内閣府地方創生推進事務局審議官安良岡武君、子ども家庭庁長官官房審議官野村智君、復興庁統括官宇野義正君、復興庁統括官桜町満雄君、復興庁審議官森田実隆君、復興庁審議官寺崎秀俊君、法務省大臣官房審議官松井信和君、外務省大臣官房参事官林誠君、農林水産省大臣官房輸出促進審議官山口康史君、農林水産省農村振興局整備部長尾形和之行君、水産庁漁政部長山口純一郎君、資源エネルギー庁電力ガス事業部長久米隆君、中小企業庁経営支援部長松浦哲也君、国土交通省大臣官房技術審議官菊地雅彦君、国土交通省大臣官房技術審議官岸谷勝美君、環境省環境再生資源循環局長前仏和英君、及び原子力規制庁長官官房審議官小島陽平君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。(なし)御異議なしと認めます。よってそのように決しました。質疑の申し出がありますので、順次、声を許します。
22:28
皆さんおはようございます。熊本肉鮮出自由民主党の西野大輔でございます。私、副校長に出向した経験もありますし、さらには被災地の熊本鮮出国会議員ということで、初当選以来、この復興特別委員会に席を置かせていただいておりますけれども、今日が復興特別委員会での初めての質問になります。御指名いただいた理事の皆さんに、そしてまた、準備に御協力いただいた事務方の皆さん方にも、まず御礼を申し上げたいと思います。そして、今、私が申し上げました通り、復興庁への出向経験もありますけれども、10年以上前の話でございますので、もしかしたら大変、古い議論になるかもしれませんけれども、そのときの問題意識に基づいて、質問させていただきたいというふうに思います。そして、震災から13年経過しまして、復興の最大の焦点は、福島原発事故に移っているということは承知しておりますし、この復興特別委員会でも、概ね原発事故に関する質問が多いということは承知しておりますけれども、私は今日は、津波、地震、津波、被災地の復旧復興についての質問させていただきたいというふうに思います。そして、それによって、今回の野党反当地震の教訓的なものも引き出すことができたら、ありがたいなと、その思いで質問させていただきたいというふうに思います。私は、復興庁では、企画班というふうに申しまして、総括的な復興政策を総括する立場におりました。ですので、当時は、私が復興庁に入った当初半年間は、民主党政権でございまして、平野達を大臣ご指導いただきました。2012年の12月に、自民党が政権に復帰して、その後、根本匠大臣のご指導を直接いただいておりました。同時に、私、企画班ということで、政府与党との連絡調整役も担っておりましたので、自民党の復興加速課本部が、提言を取りまとめるに際して、公明党、自民党、そして関係省庁との連絡調整役を担わせていただいたということで、大島忠守本部長にも大変熱心にご指導いただいたのを覚えています。大島忠守本部長がその時、繰り返しおっしゃっていたのが、住まいへの再建が非常に重要だということです。その時の提言にも書いてあると思いますけれども、次の新しい 年を、やはり被災者の皆さん方が、希望を持って新年を迎えることができるようにしなくちゃいけない。そのためには、住まいへの再建が最重要だと。少なくとも、いついつまでに住まいへの再建ができるという見通しをしっかり示さなくちゃいけないということを、繰り返しおっしゃっていました。我々もその本部長の問題意識を踏まえて、例えば、住まいの再建に向けたロードマップを作成したり、例えば、住宅再建に向けたアイロ、人手不足とか、生根不足とか、あるいは入札の不調とか、そういった問題がたくさんありましたけれども、そういったアイロをどうやって解消していくのか、そういった議論をさせていただきました。今思えば、本当に当たり前のことかもしれませんけれども、当時の我々は、復旧・復興に向けて様々な課題がある中で、住宅の再建が最重要だということは、あんまり深く認識しておりませんでしたので、ハッとさせられた、目から鱗だったという思いがあります。そうした思いの下で、例えば熊本自身もそうですし、今回の野田半島自身もそうだと思いますけれども、住まいの再建が最優先だという認識の下に、復旧・復興に多くの皆さん方に当たっていただいているのではないかというふうに思います。そこで、副課長に伺いたいと思いますけれども、住まいの再建が最重要課題だというふうに思いますけれども、震災から十数年たって、その進捗状況を教えていただければというふうに思います。確認させていただければと思います。副課長宇野党活館。お答え申し上げます。東日本大震災からの早期の住まいの再建を図るため、被災地全体で約3万戸の災害公営住宅の整備、および約1万8000戸の宅地の土地区画性事業等による整備が行われ、令和2年12月末に全て完了しているところでございます。
26:28
はい、ありがとうございます。2020年の12月、震災からちょうど10年で全て完了したということで、今お答えをいただきました。関係者の皆様方、本当にご苦労があったというふうに思いますので、改めて敬意を申し上げたいというふうに思います。一方で震災から10年というのは遅いじゃないかというような見方もあるんだろうというふうに思いますけれども、実は100%完了したのが2020年でありまして、2017年には90%を超えているわけです。おそらく最後の数年間は一部本当に複雑な問題で、なかなか前に進まなかった、そういったところがあるのかなというふうに思っております。例えば、防災集団移転促進事業、こういったところは、移転先の候補地が見つかったとしても、そこの相続人の所在地がわからなかったりして、その人たちを探している間に時間がかかったりとか、あるいは事業を進めている中で重要文化財が見つかってしまって、事業をストップせざるを得なかったとか、様々な事情があるんだということ、民主主義国家ですから、一つ一つ丁寧にプロセスを進んでいかなければ、こうした事業を進めることができないということだというふうに思いますので、有権者の皆様、そして視聴者の皆様方にも、そういったこともご理解いただければというふうに思います。それから、その中の議論の一つですけれども、傍聴亭を巡る議論も大きなものがあったというふうに思います。震災直後は、15メートルの傍聴亭とか、20メートルの傍聴亭とか、こういったものをしっかり立てて、津波の被害を絶対起こしたくないというような、被災者の意識が強かったんですけれども、被災から数年たつと、やはり経過も大事だというような意見も出てきたと思います。その経過も大事だという意見に対しては、それは震災を経験していない部外者が、市民団体みたいな人たちが言っているだけだというような、情報も飛び交ったりして、この傍 聴亭の議論というのは、非常にサクサクした、コメをきらめたという記憶があるんですけれども、実はこの町づくりを進める上で、傍聴亭の議論というのは非常に重要だというふうに考えておりまして、傍聴亭を太いものを作る、高いものを作ることによって、絶対に津波を起こさせないんだという傍聴亭を作るのであれば、それこそ海沿いに町づくりを進めればいいかもしれませんし、景観を重視しても、傍聴亭を諦めるということであれば、高台に作らなくちゃいけないかもしれない。その間の中間点として、完全に津波を食い止めることはできないけれども、10分に10分、津波を遅らせることができるという考え方であれば、その高台と海沿いの中間地点に、町づくりを再建するという考え方もあると思いますので、傍聴亭の考え方一つで、町づくりの移転先が変わるということで、これも大きな影響を与えたというふうに思います。そこで、我々が知っている限りで、当時議論になっていた、傍聴亭の整備の仕方、どのように整理されているのかということについて、お伺いできればと思います。
29:19
お答えいたします。傍聴亭の整備に当たりましては、中央防災会議の専門調査会の報告を踏まえまして、東日本大震災のような最大クラスの津波ではなく、比較的発生頻度の高い数十年から百数十年に一度の津波、いわゆるL1津波を想定して高さを設定することとしており、国から海岸管理者である都道府県等に通知をしております。東日本大震災において被災した県等においては、国からの通知に基づきましてL1津波を想定しつつ、地元市町村のまちづくりとの整合性や、環境保全、周辺の環境との調和などを図りながら、傍聴亭の計画を適切に定め、整備を進めているものと承知をしております。
30:12
ありがとうございます。いろいろなご苦労があったというふうに思いますけれども、地元住民あるいは自治体の皆さん方と議論しながら、まちづくりと一体となって、傍聴亭の整備を進めていくということだと思います。今回の野党反当自身でも、傍聴亭の議論があるというふうに思いますけれども、この東日本大震災の経験を十分に踏まえながら、できるだけ速やかに、そうした議論を進めていただければというふうに思います。それからもう一つ、やはり大きな足枷になっていたのが、どこに移転するべきかを決める上で、被災者の間で考え方 が異なってくるという問題があったと思います。いろんな例があると思いますけれども、私がやはり心を痛めたのは、最初はとある家庭の話ですけれども、最初は家族全員で、やはり高台に移転しようというふうに決めていた。しかし、時が経つにつれて、男性の方、お父さん方は、トラウマが徐々に徐々に薄くなっていって、やはり自分が生まれ育った海沿いに家を建てたいんだと。一方で、奥さんやあるいは娘さんたちは、トラウマがなかなか消えなくて、いやいや、私たちはやはり高台の方がいいわよということで、家族の間でも大きな議論になったと。いわんや、同じコミュニティの間で、世帯間の間で、大きな議論になるというのは、私はある意味当然のことだろうというふうに思います。例えば、最も有名な話は、宮城県名取市の百合上地区。これは一旦、計画が決まったにもかかわらず、住民の意見が対立して、計画が白紙に戻ったというようなケースもあったというふうに、NHKのスペシャルで報道されていまし た。それだけ非常に難しい問題だというふうに思います。そこで伺いたいというふうに思いますけれども、こうした問題、ノートハント地震でもこれから起こり得るというふうに思いますけれども、こういった意見の対立、どうやって乗り越えて住まいの再建を図っていったのか、ということについて、副校長のお考えを聞かせていただければと思います。
32:06
お答えいたします。東日本大震災の防災集団移転促進事業については、委員御指摘のとおり、発災から時間が経過する中で、被災者のライフステージの変化とともに、住まいの再建に対する意向も変わっていたものと承知しております。このため、計画策定から工事実施のあらゆる段階にわたり、被災者の意向を丁寧に把握しながら、事業の進捗を図りました。被災者の意向把握につきましては、初期段階では事業手法や移転団地の場所決定のため、被災者の希望やイメージを伺う説明会の開催、アンケート調査の実施から開始をいたしました。その後、被災者が生活再建を考えるタイミングに合わせて、適切な情報提供を行うほか、個別面談などにより、一人一人の意向を把握し、家族での話し合いを促すなどの工夫を重ねてまいりました。これらの対応により、意向の把握の変化に対応して、事業規模を縮小するなど、計画内容を見直すとともに、被災者の意向に寄り添った復興待ちづくりを進めるように努めてまいりました。以上でございます。
33:13
ありがとうございます。本当にエネルギーのいる作業だったと思いますが、それを進めていただいたということで、大変ありがたいことだと思います。もう一つ、公営住宅についても伺いたいと思います。公営住宅についても、公営住宅に入りたい希望者がどれだけいるのかを把握するのに、それなりの時間がかかると思いますし、せっかく把握したとしても、時の経過とともに、やはり公営住宅は嫌だとか、あるいは職業、仕事の関係で、県外に被災地以外に住まわなくてはいけない、そういう選択をされる方もいらっしゃるわけで、いろいろな希望を把握するだけでも、いろいろな苦労があったと思います。例えば、これは2012年から2013年当時の議論ですけれども、私の記憶では、公営住宅を過度に整備してしまうと、高齢者が多かったりして、空室が増えてしまうと、中長期的に見て維持管理が難しくなってしまうのではないか、だから中長期的な見通しをしっかり厳密にする必要があるというような議論、そういったご指摘があったというふうに記憶しておりますけれども、そういった意味で、東日本大震災においては、公営住宅の整備方針、どのように定められていたのか、さらには、そうした整備方針に基づいて、どの程度の整備が、個数が整備されたのか、さらには現在の入居率、そしてまた今後の見通しについても教えていただければというふうに思います。
34:44
平成23年8月11日に改定されました、東日本大震災下の復興基本方針におきましては、自力での住宅再建、取得が困難な被災者に対しては、災害公営住宅の供給を促進することとしておりまして、災害公営住宅の整備に当たりましては、各自治体において課題とならないよう、被災者の意向を丁寧にお伺いし、それを十分に踏まえつつ行ってきたというふうに認識しております。その結果、こうした被災者の意向を踏まえた上で、令和2年12月までに、災害公営住宅2万9,230戸を整備してきたところでございます。また、令和5年9月末現在の入居率は約92%となっており、必ずしも悪質が多い状況ではありませんが、被災者の退去等により、空き室が少子化した災害公営住宅につきましては、各自治体の判断により、被災者以外の方の入居や、公営住宅以外の用途での活用などを可能にしているところでございます。副校長としては、将来にわたり、災害公営住宅が安定的に管理運営されるよう、引き続き自治体に対し、助言等を行うなど、関係省庁と連携してもらいたいと考えております。災害公営住宅の…質問者以 外の発言が…
36:06
ありがとうございました。災害公営住宅とはいえ、被災者じゃない方も柔軟に入れるというようなことをやって、入居率ができるだけ下がらないようにすると、そういった運用されているということも、先日、副校長と話をさせていただく中で、理解いたしました。その被災地だけじゃなくても、被災地に限らずですけれども、この公営住宅、できるだけ効率化を図ると、民間の知恵工夫なんかも入れて、効率化を図っていくというのは、重要なテーマだと思いますので、そういったことも含めて、ご尽力いただければと思います。そ うした議論を踏まえた上で、住まいの再建、一つとっても、かなりの課題、かなりの議論があるわけでございますけれども、こうしたことを教訓として、今般の農土繁盛地震に、どのように生かしていくのかということについても、お伺いできればと思います。福岡県立福岡市立福岡市立福岡町の東勝館。お答え申し上げます。福岡町では、東日本大震災からの復興過程において、得られた様々な教訓や知見を収集し、他の災害において、それらが活用できるよう、東日本大震災復興の教訓ノウハウ集や、東日本大震災の復興施策、10年間の振り返りとして、取りまとめて公表してきたところでございます。この中で、住まいの再建に関しましては、1つ目、時間の経過とともに、被災者の生活再建志向が変化するため、継続的に意向把握を行うこと。2つ目、将来的な人口減少、高齢化等を踏まえた、適正な規模内容の復興まちづくり計画を立案すること、等を教訓知見として掲げているところでございます。福岡町が東日本大震災の被災地に長く寄り添う中で得た教訓、知見が、野党半島地震の復旧復興において活用されるよう、これからも取り組んでまいりたいと考えております。
38:02
ありがとうございました。今日は、住まいの再建だけじゃなくて、成り割の再建、そしてインフラの再建についても、質問を用意していたんですけれども、ちょっとあまり時間がなさそうですので、大変申し訳ないんですけれども、成り割とインフラについては、活用させていただきたい と思います。特に、成り割の再建については、やはり切り札と言ってもいいと思いますが、グループ補助金、これは、国のお金、税金を直接、個人の資産に入れるということができない中で、いかにして地域経済を復活させるかということで、かなり、福岡町経済産業省財務省と議論に議論を重ねて、作った、ある意味で画期的な制度だというふうに思いますけれども、こうした制度についても、ちょっと検証させていただきたいな、というふうに思っていたんですが、時間の都合上、割愛をさせていただきたいと思います。最後になりますけれども、平沼政務官に伺いたいと思います。平沼政務官は、防災担当大臣政務官でもございまして、野党反党地震が起こった直後から官邸に詰めたり、さらには、被災地、金沢の対策本部に詰めたりということで、大変ご尽力をいただいておりますので、そのことにも、改めて敬意を申し上げたいというふうに思いますけれども、まずは、地震・津波地域復旧・復興に向けた、締めくくり・総括の段階にありますけれども、それについての意気込み、そして、そうしたものを踏まえて、今般の野党反党地震をどうやって活かしていくかということ、その意気込みを聞かせていただければと思います。
39:32
西野委員のご質問にお答えいたします。政務官の就任以降、被災地を訪問させていただいて、さまざまなお話を伺う中で、被災者の方々の絶え間ないご努力や、復興関係者の皆様の努力により、復興は着実に推進していると考えておりますけれども、一方で、ハード面の整備が進んできたものの、これからやはり、心のケアの問題はまだ引き続きあるかと思っております。それと、また、成り上がりのお話も先ほどされましたけれども、地域の中核産業である水産業や、水産加工業の販路開拓などが課題として残っておりますので、しっかりと取り組んでまいりたいと思っております。そして、先ほどこれも言及いただきましたけれども、私も今、石川県の現地対策本部に入ったときには、対策本部長として任に就かせていただいておりますけれども、今、ようやく応急仮設住宅の建設が始まり、そして、これから成り上がりの再建というのが進んできたところでございます。引き続き、こういったものをしっかりと前に進めていくには、この東日本大震災のこういった知見、また、こういったノウハウをしっかりと活用しながら、1日も早い被災地の復旧・復興に努めてまいりたいと思っております。
40:43
ありがとうございました。今日、土屋大臣の時間をいただくのは申し訳ないなと思って、指名していなかったんですけれども、もしよければ最後一言、感想とかいただければと思います。すみません。恐縮です。
40:57
これからも一丸となって、みんなで復興を進めていきたいと思いますし、我々の東日本の知見を、のとに生かしていければと思っております。一緒によろしくお願いいたします。
41:13
ありがとうございました。終わります。ありがとうございました。
41:51
玄馬光一郎です。3.11から13年が経ちました。私もあの時は、福島県の出身で、原発事故があって、かつ与党の政調会長で閣僚も兼任するという立場で、死に物狂いで対策に当たったわけです。当然、与党も野党もなく、復興の最終的な責任を負うというつもりで、これからも向き合っていきたいと思っておりますが、壁に直面している問題がいくつかございます。そのうちの一つは、例えば、除染土壌等の最終処分、あるいは再生利用であったり、あるいは廃炉の本丸の、いわば、デブリの取り出し。これがなかなか思ったようにうまくいかないですね。この問題を取り上げたいと思うんです。この除染土壌の最終処分、再生利用でありますけれど、これ、最終処分、我々法律で、事実上2045年に県外処分完了というふうにしたわけです。これ、なかなか大変ですよね。あと21年しかないという状況でございます。そのためには、まず何より、この原容化、再生利用というのをまず、最初に具体的に進めなきゃいけないというふうに思うんですけれど、これ具体的にどうするかですね。まずやはり、わかりやすい科学的な説明が必要です。何か科学的な説明が伝わってこないですよね。はっきり申し上げて。国会でもあまり説明されていないと思います。それと、IAEAを上手に活用するということだと思うんです。まずは、私が一番最初に本当に悩んだのは、低線量被曝との戦いだったんですね。あのときは、とにかくどうやったら科学的な説明ができるか、いくら科学的な説明をしてもほとんど理解してもらえなくて、どうしたかとアンスケアという、いわゆる国際機関に手伝ってもらったんですね。私、お願いしに行きましたから、頻繁に福島に来て説明してくれと。あなたたちが言う方が、やっぱり説得力があるわけですよね。東電関係者なんかが言うよりも。そういうことがあるので、この汚染土壌の再生利用も、今実証実験やっているようですけれど、なかなか理解が進まない。わかりやすい科学的な説明、そしてIAEAの活用、そして最後は、これもインセンティブを場合によっては考えていく。実証と、あるいは再生利用。例えば、いわゆるインフラ道路の整備なんかに、この再生利用するということであれば、そのためのインセンティブを考えていく。この3点セットじゃないかと、結論から申し上げると考えていますけれど、いかがですか。
45:56
当時の、今のお言葉でですね、現場委員の大変な思いというのが伝わってまいりました。おっしゃるように、今やっぱり最も重要な課題としては、この汚染土壌の最終処分、再生利用というのが大きな課題だと考えております。今、いろいろご示しいただきましたが、安全性について皆さんに伝わっていない。それは私自身も共有するものであり、それをこれからどういうふうに伝えていくかというのは重要なことだと思っております。今まさにIAEからの助言ということがありましたが、アルプス処理水もそうでしたけど、IAEが関わったことで、かなり世界的にやはり安全性が示すことができたということでは、これからまさに今、環境省がですね、再利用については、福島県内の再生利用実証事業の成果、それからIAEからの助言も踏まえて、必要な基準類を2024年度中に取りまとめるということを承知しているところでございます。これをまず早く基準類を取りまとめてもらうことが大事。基準類 ですね。米編の類。基準類。基準になるものがいろいろありますけど、安全性に対するそういうことだと思います。それを取りまとめるということを我々も承知しております。国民の理解、まずは信頼の情勢につなげていけるかどうかというのが勝負どころかなと思います。今、政府としてもですね、再生利用に関しましては、地域の社会的重要性を向上させることも重要ですけれども、今月の1月に検討会を設置しまして、対象地域とのコミュニケーションのあり方等について議論を開始したと承知しています。これ環境省が中心になってやっておりますけれども、それと同時にですね、政府も一体となって、これは環境省だけに任せるものではないということで、関係省庁連携強化等によりまして、体制整備に向けた取組を進めて、地元の意見を得られながら具体化を推進するということで決定したところでございます。
48:45
わかりやす い科学的な説明と、IAEAを上手に活用すると。おっしゃるとおり、処理水もIAEAの果たした役割大きいと思います。あとは中国のいわば、失勢というかですね、外交的失策で常番者をみんなで応援しようという、国内が盛り上がった、この2つだと私は思ってますけれども、IAEAの活用は非常に有効だった。さっき申し上げたように、低線量被曝に対する取組もアンスケアの活用が非常に有効でした。ですからここも、今私はよくわからないけど、基準類という調査報告書が今年中に出るということのようでありますけれども、IAEAに大いに来てもらって、処理水もそうなんですけれども、IAEAから国内で発信してもらうということを上手にやる必要があると思います。そのことを改めて申し上げておきますし、
49:51
最終的には何らかのインセンティブも、復興大臣が温度をとって措置をしていくということも考え始めた方が良いのではないかというふうに思うんですね。最終的にこれを道路整備に使うなら、例えばインフラ整備で、本来自治体が負担しなきゃいけない分を国が負担しますよとかですね、それはそういうことをやらないと、なかなかこれを受け入れるという判断覚悟はなかなかそれぞれできないんじゃないかなと思いますけれど、その点はいかがでしょう。
50:40
何らかのインセンティブをつけるというお話でございますけれども、これは今いろいろなところから声が出ているような気がいたします。我々としても一つの選択肢としてしっかりと考えていく必要があるかと思いますが、今の段階ではまず環境省が実験段階のところでございますから、それの結果をしっかりと見極めながら、また政府一体としてこのインセンティブに関してもみんなで議論しておく必要があるかと思っております。
51:19
いわゆる見直しの中で、今おっしゃったこの問題については環境省だけに任せずに、 政府一体となって取り組もうということになったというふうに聞いていますけれど、多分大きく分けると二つあって、一つはインセンティブ措置をみんなで考える。これは確かに環境省だけでは考えられませんので、政府一体となって考える。財務省も含めてですね。そういう話だと思います。もう一つは、やっぱり総理大臣が全体の責任者なので、総理大臣から時期を見て、やはり知事会なんかにですね、しっかりと要請するということも必要じゃないかと思うんです。私が思い出すのは、やはり平成23年3月11日に起こったこの3.11で、その後、特に災害廃棄物がもうどうにもならなくなったんですね。処分できないですよね。当たり前ですけれど。これをどうするかって話になったときに、結局どこも風評があって受け入れたくないというわけですよ。嫌だと。そんな今回の震災で出た廃棄物受け入れたくないと。住民の反対がある。結局どうしたかって言いますと、時の総理大臣が知事会に行ってお願いしたんです。これはみんなで負担し合おうと。分かち合おうと。お願いしたんですよ。東京都が真っ先に協力してくれた。やっぱりそういう象徴的な人、当時石原さんですけどね。象徴的な人に、ないない寝回しして、しっかりと引き受けてくれそうだという温度感があったら、もう思い切って総 理が出てって、知事会で要請すると。そのぐらいのことをやってほしいんですけど。 福岡大臣、温度をとってください。
53:32
同じことになりますが、今の段階では、結論としては言える状況ではありませんけども、政府一体となる、そして、長は総理大臣であるということから考えますれば、いろいろなこれから議論の中で、最終的にもちろん知事会とのセッションも出てくるのではないかと思っておりますが、今後、ありとあらゆる方法を考えながら、確実性をもって進めていきたいなと思っております。原爆、取引もそうなんですけど、最後は結局、総理大臣が判断する、ある意味泥をかぶって判断するということなんですよね。覚悟を持つということだと思うんです。賛否両論あります、これは。あるものを、それは責任を負うのが政治家の仕事なので、まさに役人の仕事じゃなくて、批判も含めて責任を負うのが、大臣の仕事だと思うんですね。ですから、今申し上げ たように、このインセンティブ措置にしても、最終的な受入れのための要請にしても、是非これは、復興大臣が、司令塔として、中をまとめて、総理としっかりと話して、覚悟を示すように、是非お願いをしたいと思います。インセンティブ措置、しっかり選択肢として、政府一体となって考えていくということでございます。これは確かに、タイミングはあると思います。今すぐやる話じゃない。確かに。だから、もうしかし、間近に来ている問題なので、しっかりと準備をお勧めていただきたいというふうに思っています。全く自治体がどこも受け入れないでいたら、もう何も進まないことになってしまいますので、よろしくお願いをしたいと思います。それと、この間、私立憲民主党なんですけど、復興対策本部、私本部長で、金子さん事務局長で、ずっと被災自治体十数人の国会議員で、先般視察をしたときに、双葉の長丁さんから言われたことが、非常に頭に残っているんですけれど、決して大きな話ではないかもしれませんけれど、いわゆる拠点の中、あるいは拠点外で、基幹を進めようとしている地域、つまりは特定基幹居住区域というのがありますよね。それら、今、基幹ができるように環境整備しているんだけど、例えば、除染となると、今ま でのマニュアル通り、結局20メートルしかやらない。でも、実は、ここの背後にあるちょっとした丘は、これまさに憩いの場にしたいんだよなって、例えば言うわけですね。でも、20メートルしか除染しないというマニュアルになっているから、やらないということになっちゃうと、せっかくこの辺、憩いの場になるし、いいよって進めようと思っても、進められないというわけですね。これ確かにそうだなと思うんですよ。実のことを言うと、拠点、いわゆる避難指示が出た地域以外は、逆にやってるんですよね。森林再生で間伐したり、除染したり、実はやってるんです。それが肝心の避難指示のところが、尺子定義になっちゃってると。我々、衆参両院で採択した附帯決議、この特定基幹居住区域というのを認めていくときにですね、どういうふうに書いてるかというと、住民が安心して帰還できるよう、各地域の現状や、住民地方自治体の意向を十分に踏まえ、生活権を幅広く捉えながら、除染の手法と範囲を決定すると書いてある。これ、簡単に言うと、尺子条文になっちゃってる。そこはもう、復興大臣がリーダーシップを取って、もうちょっと柔軟性を発揮しませんか、ということを言っていただきたいんですね。
58:20
今のお話なんですけども、生活環境の占領、提言を目的として、林園部から20メートル、必要な範囲で体積数の除去等を実施しているというお話ですよね。その20メートルを超えたところで、住民が身近に利用してきたものをどうするかということでございますけども、避難指示が解除された区域のうち、森林公園とか遊歩道とか、そういうところに関しては、環境省、農林水産省との関係機関と連携して、除染や間伐等を行う里山再生事業というのがありまして、それで行ってきているところでございまして、全く20メートルだから行けないという状況ではないと理解しております。今後も地域によってだいぶ違うと思うんですね。だから20メートル絶対行ですよということではなくて、また地域の皆様と住民の方たちとも地方自治体とも相談しながらですね、この里山再生事業の中でもできることではないかと考えておりますので、今後理解情勢をしながら進めていきたいと思います。ただし森林になってしまうとご存知のように、除染度を排除した場合ですね、台風とか雨とかそういう状況の中では泥がなくなったことによって大きな水が出る可能性もあるので、そういうところに関しては除染できない状況にあるということもご理解いただきたいと思います。要はですね、今のお話は避難指示が解除になったら、20メートルと言わずもうちょっと柔軟に除染をしますよということを言っていただいたと理解したんですけれど、つまりは、要はですね、期間を進めたいと思って、その準備のために今20メートルまで除染しているわけですね。でもすぐ背後に丘があって、これみんなで一種の公園みたいにして、憩いの場にしたいんだ、だけど今だめなんです。だからそれは少なくとも避難指示が解除になったらやりますよっていうことなら、それをはっきり言ってもらった方がいいと思うんです。そうじゃないとみんな帰る決断しないから、できなくなっちゃうから。そういう柔軟性は間違いなく発揮しますというふうに言っていただ きたいということですね。
1:01:14
私、今説明が不十分だったのかもしれませんけど、期間以降のある住民の日常生活に必要な一体的な日常生活圏を構成している地域であれば対象とするという考え方を持っています。そういう意味では今後、地域の各自治体とも話し合いしながら、やはり期間したい住民とも話し合いしながら進めていく。この中には参院で一部も含まれているものと承知しているところでございます。一体的な日常生活圏を構成している区域で、それを認めますよと言っている中には、参院の一部も含まれているものと承知している。地域によっては参院の一部も入っている。
1:02:17
時間が終わりましたので、終了いたしますけれども、ぜひ柔軟性を発揮してもらう、そのときのあるいは先頭に、副校大臣にぜひ立ってもらいたいというふうに思います。デブリの取り出しを聞きたかったんですけれども、時間がなくなりましたので、時間を守らなければいけないので終わります。どうもありがとうございます。
1:02:53
一見西東の金子恵美でございます。よろしくお願いいたします。本島東日本大震災、原発事故、そして、野党反当自身で犠牲となられた皆様方に哀悼の意を表しますとともに、今なお避難をされている皆様方、そして被災された全ての皆様方に心からお見舞いを申し上げます。今年で東日本大震災、原発事故から丸13年でございます。福島県では2万6千人の方々が、今もなお県内外に避難をされているという状況でもあります。私は3.11、3月11日は福島県主催の追悼復興記念式に出席させていただきました。そこで福島県のこの追悼記念式ではですね、高校生による若者の言葉でございまして、それがございまして、そして相馬高校の出版局の3人の高校生が登台して、野党半島地震を受け、東日本大震災の経験を伝え続けていくことの大切さをより強く感じていると述べられました。また遺族を代表して両親を津波で失った、当時小学校1年生でいらっしゃった浪江町出身の鍋島雄介さんは、野党半島の地震の映像を見て、あの時の記憶を呼び起こしたと述べられ、普段から防災を意識し、津波が来ている時は逃げることが大切だとも訴えられていました。この鍋島さんの言葉の中では、実はご両親、そしておじいさま、おばあさまも亡くされて、そして避難所で当時小学校6年生のお姉さまと合流されて、その後は福島県内をまず転々とされて、その後、避難生活の後、知事方の祖父に引き取られて神奈川県の平塚市に避難したというような、そういう流れも述べられていらっしゃって、そしてこの避難から数年は、 なぜだか記憶がとても曖昧です。ただ、両親に休日に遊んでもらったこと、父とサッカーをしたことや、母の手料理のおいしさなど、不思議と浪江町での家族との楽しい記憶は色あせていません。震災以降で、池戸小学校が残ったのは、思い出の面影が残ったような気がして、とても嬉しく思いましたということを述べられています。まずは、野田半島の問題もあり、これから東日本大震災、原発事故で得た教訓をしっかり活かしてほしいという思いと、もう一つは、残すべきものは残してほしいという思いを訴えられていたと思います。私も、記憶を風化させてはいけない。実際に何が起こったかということを、しっかりと次世代にもつなげていくということ。まさに、残念ながら、今、長田町でも、東日本大震災の問題は風化しているような気がしています。特に、原発事故の部分は風化しているような気がしていますので、何が起こって、そして、何を私たちは伝えていかなくてはいけないかということは、とても重要な課題だと思っています。その上で、大臣にお伺いしたいと思いますが、東日本大震災、原発事故により犠牲になられた方々への追悼と鎮魂の念を持ち続けながらも、記憶と教訓を風化させることなく、真の復興に向けて前進するべきだと思いますけれども、所見をお伺いしたいと思います。お願いいたします。
1:06:42
金子委員のお話を伺って、本当にまさにおっしゃる通りだと思います。私は岩手の方に参りまして、3.11の式典を出させていただきましたけれども、岩手でも若い男性がお話をしましたけれども、本当に心を打つものがありました。小さくてわからなかったけれども恐怖だったという話が非常に印象に残ったわけでございますけれども、その当時若かった人たちの本当の体からにじみ出るような教訓というのは、伝えていくことがすごく重要だと考えております。そういう意味では、もうご存知だと思いますけれども、復興庁でも震災以降や電証官のガイドブックを発行して、被災3県の全学校や全国の県教育委員会、公立図書館等にも配布しているところでございます。それから中学校・高校生に福島の復興の状況や魅力を理解していただくために、出前事業も復興庁の職員が一定しているところでございまして、できる限りいろんなところで、やはりこの教訓を伝えていくということが大事だと考えております。私自身もいろいろなところで伝えていきたいと思いますけれども、例えば修学旅行などで、近県では来てもらえればなという思いもあります。それから世界的に見ても、ウクライナからも復興に対しての私の招待がありましたし、トルコやシリアからも資料が欲しいという話もありました。そういう意味では、これからさらに広めるために、委員のお知恵もお借りして頑張っていきたいと思います。金岡君、ありがとうございます。いろんな資料を作っていただいたり、そういうものはいいんです。そして海外からもお越しいただく。でも、そのときに光が当てられた部分だけお見せしても仕方がないわけで、本当の状況、リアルなところを見ていただきたいと思うんです。それで、私は昨年末も大熊町の基幹困難区域に入りまして、旧熊町小学校を前までご案内いただきました。今年にありまして、2月の頭には大熊町の熊町小学校なんですけれども、ここで一時立ち入りができるような状況を作っていただいて、そして私物を持ち出すということができました。おそらく13年ぶりに小学校の中に入られた、今は若い日本を背負って立つような立派な大人になってきた方々も含めまして、そのときの当時の思い出などをその場で語り合ったということでもありますけれども、その中で私も、昨年末ご案内いただきました木村のりおさんという方、語り辞めもされていて、いろいろマスコミにもよく出られている方ではありますけれども、犠牲となられた娘さんの夕菜さんという方の遺骨は見つかりましたけれども、まだまだ足りないということで、遺骨の収集を捜索をされているというところで、私もお手伝いもさせていただいたわけなんですけれども、おっしゃっていることは、やはり全体は基幹困難区域も含めて、やはりその被害を受けた場、すべてが異例の場なんだということだということで、少しでも残していくべきものは残していかなくてはいけない。ただ単に、例えば除染をして、解体をして、そして除染をして、それで終わりだ、新しいまちづくりをして終わりだということにもならない。残すべきものは残していくということだというふうにおっしゃっておられまして、それこそ娘さんの言った教室、その机も含めてそのまま残していければいいんじゃないかというふうなこともおっしゃっていた。大熊町としても、熊町小学校とか熊町幼稚園をできれば震災を伝える場として残していくということも検討されているというふうに聞いています。大臣、ご所見ありますか。
1:11:28
異構の問題です。できる限りやはり象徴的なもの、一箇所ずつになるかもしれません。それは国の方でも一箇所ずつということで異構を残すということであると思いますけれども、みんながまず見てですね、そこへ行って見ることによってまさにその時の状況が思い起こせられるようなものというのは大事だと思います。特に年数が経つと、我々もそうですけど、風化をしていく中で、やはり改めてその場に立って感じるものは多いと思います。
1:12:17
自治体の様々なご判断とか、住民の皆さんのお考えとか、いろいろあると思いますが、すべてを尊重していただいて残すべきものは残していく。そして次世代にも伝えていく。ぜひよろしくお願いしたいと思います。それでは次の質問に参ります。福島の復興と廃炉の両立、これは絶対に成し遂げていかなくてはいけないと思っていますが、残念ながらアルプス処理水はすべての人たちの理解があってスタートしたわけでもありません。昨年の8月にアルプス処理水の開用放出がスタートいたしまして、その2ヶ月後に既に汚染水処理の期間となる増設アルプス建屋で、作業員がまずは洗浄廃液を浴びたという事件がありました。その後、昨年の臨時国会中の復興特別委員会、こちらでも、今日お出入りになられています東電の山口副社長も出席されまして、様々な情報発信については正確性を欠いたという事について反省をしているというような事も述べられました。しかし残念ながら今年にまたなりまして、2月に汚染水の浄化設備、サリーの建屋の廃棄口から、放射性物質を含む水の漏洩事件が発生したという事で、極めて残念な事だと思っています。その後、経産大臣が小林川社長に対して指導もされたということでありまして、その面会の後に小林川社長は指導も踏まえ、外部の専門家に入ってもらう人の手を介さずに済むような効果的なミスの防止策の検討を進めていきたいと述べました。人を介さずに済むように、本当にこれができ得るのか、実際に私が懸念しているのはもちろん、このような事故があることによって、東電に対しての不信感というのがどんどん大きくなる一方であるという事、極めて残念な事でもありますけれども、それと本当に廃炉というものが成し遂げられるのかということも疑問に思うところでもあります。東京電力は本当の意味で反省の上に立って再発防止というものをしっかりとやっていかなくてはいけないと思いますけれども、その対策をどのように講じているのか、山口副社長に今日はお越しいただいております。ありがとうございます。ご答弁いただけますでしょうか。
1:14:57
東京電力ホールディングス株式会社山口代表志向役副社長
1:15:06
東京電力ホールディングスの山口でございます。福島第一原子力発電所の事故からはや13年が経過しておりますけれども、今もなお地域地元の皆様、広く社会の皆様に多大なるご心配、ご負担をおかけいたしましていること、この場をお借りしまして改めてお詫びを申し上げます。先生ご指摘の事案の対策の取組の状況につきまして、ご説明をさせていただきたいと思います。昨年10月25日、福島第一原子力発電所におきまして、増設アルプス建屋内の配管洗浄作業中に洗浄した水が協力企業作業員2名の方に被産をいたしまして、新体汚染を発生させた事案でございます。当社といたしましては、この事案の原因は防護装備などの安全管理が不十分であったということなどと考えまして、全ての現場作業について安全管理体制の確認を実施するなど、再発防止対策を進めてまいりました。その中 で、先生ご指摘のとおり、本年2月7日、接種用吸着装置「サリー」の弁の点検作業におきまして、本来閉めておくべき弁を開けた状態で作業を行った結果、建屋の廃棄配管から汚染水を含む水の漏えいが発生いたしました。この事案の原因は、本来確認すべき弁の開閉状態の見落とし等によるものと考え、高濃度の液体放射性物質を取り扱う作業では、当社運転部門が安全装置を一元的に実施するなど、新たな再発防止対策を講じました。こうしたそれぞれの事案に対しまして、当社として個別の再発防止対策を進めておりますが、両事案に共通する問題点として、震災以降、緊急的に整備をしてきた設備だったため、自動化できず、手動の対応とならざるを得なかったことに加えまして、手順やルールなどが必ずしも現場の実態を反映したものになっていなかったものと、改善すべき点があるというふうに考えてございます。当社といたしましては、個々の事案として対処するだけではなく、人は思い込みでミスをするという前提に立って、先ほどおっしゃっていただきましたけれども、外部有識者の視点を入れながら、再発防止対策をしっかりと行い、経営として廃炉をより安全に進めるための追加投資、それから体制の強化を中小なく実行してまいりたい、そのように考えてございます。
1:17:28
私は、作業員の方々の安全性をしっかり確保していかなくてはいけないということも申し上げさせていただきたいと思いますし、ただ手順を踏まずに、本当にこのような事故を起こしてしまっているということによって、本当に不信感というものがありますし、また国際的にも中国からの抜粋も大きくありましたし、大きな問題になっていくんですね。ですから、一つ一つ丁寧な対応をしていただきたいということは、申し上げさせていただきたいと思うんですが、ただ一方で、これすみません、新聞報道されていて、もう一人の副社長で小野明さんは、福島第一廃炉推進カンパニーの最高責任者でありますけれども、このようなトラブルが起きるということは、例えば日程ありきではなく安全第一を念頭に取り組むというような多発するトラブルにどう対応するかというようなことの質問に対して、最後の締めのところがそういう言葉をおっしゃっているんですね。日程ありきではなく、安全第一を念頭に取り組むというふうにおっしゃっているんです。ちょっと他のところを読みませんけれども、ということは、もしかすると、そもそもの、今の廃炉に向けた中長期労働マップに無理があって、急がせてしまっていて、やるべきことをきちんとやってい ない、そういう状況はないんでしょうか。
1:19:09
福島第一原子力発電所の廃炉作業は、世界でも前例のない取り組みだと認識してございます。当社といたしましては、社会の皆様、地域の方々に廃炉作業の今後の見通しについてご理解をいただき、安心していただけるよう、政府が作成してございます中長期労働マップを達成するための、今後約10年間の廃炉全体の主要な作業プロセスを具体化したものといたしまして、廃炉中長期実行プランというものをお示しさせていただいております。その上で、廃炉の進捗や新たに把握された課題に応じて、これを定期的に見直しながら、廃炉作業を安全第一で進めているところでございます。当社といたしましては、この廃炉中長期実行プランを着実に実行いたしまして、安全、着実かつ計画的に廃炉作業を進めていくことが当社の責任と考えてございます。
1:20:03
もうそうおっしゃるしかないかもしれませんけど、政府が作った廃炉に向けた中長期労働マップに基づいて、当店としても実施に向けた計画を作っているというようなことですけれども、でもずっと、例えば、二号機からの核燃料デブリの取り出し作業についても、2023年度中と言われていたものが開始時期は、今年の10月に延期するということで、これで3度目の延期ですよね。でも全然遅れてきてしまっている。できることとできないことというのは、今やっと徐々に見えつつあるのかもしれませんけれども、廃炉の完了時期というのは2041年から51年というふうに言われていますが、これが本当に出口になっていくのかわからない。それともう一つ言うと、最終形はわからないわけです。ですから当店が、いくら政府のこの計画にのっとってやりますと言っても、もしかするとこれできない状況にあるかもしれないというふうに思いませんか。苦しい思いがあるのだったら、そこはやっぱりとろした方がいいと思いますが、いかがですか。
1:21:18
我々といたしましては、決してスケジュールありきでなく、安全最優先で進めることや、地元の皆様のご安心につなげてまいりたいというふうに考えてございます。ただ他方で先ほど申し上げました通り、地元の皆様の安心につながるようにやっぱり計画というものは示させていただきつつですね、遅れたところはその計画に反映しながら、その計画に基づいて着実に推進してまいりたいと考えてございます。
1:21:46
ここのところでですね、原子力損害賠償配慮等支援機構の報告書の全容が7日に判明したということも報道されてまして、その第一原発3号機のデブリ取出についてですね、これはあの期中なのか、それとも重点効果という広報なのかということで、その組み合わせを有料案として提示されたというようなことですけれども、できるだけ速やかに具体的な設計検討を開始するように当店に求めたというようなことでもありますので、このような形でもできるだけそのデブリ取出を始める計画を立てなくてはいけないわけです。それはどうなっていますか。
1:22:38
先生ご指摘のとおり、機構の方から広報の方が示されたということは認識してございます。今、それに基づきましてエンジニアリングの方法をですね、検討しているところでございますので、今日の段階ではこれ以上のことはお差し返しさせていただきます。
1:22:54
質問をたくさん残すことにはなっているんですけれども重要なのでもう一点申し上げさせていただくと、やはりですね、ロードマップはできています。でも詳細なる、本当に精緻なロードマップ、工程表は何もできていない。でも少しずつ問題点が見えつつあるんだとは思います。ただ、燃料デブリは1グラムも取り出すことが今の段階でできていない。それなのに本当にこれから2041年から51年の廃炉の完了というのができるのかという、そういう今不安を抱えていると思います。福島県知事のインタビューの中で福島県原発の廃炉に 向けた原子炉内の正確な状況把握、デブリの取り出し方法や一時保管方法、処分方法などの具体的な工程が何ら明確化されていないということを問題視している発言がなされています。もう一時間が経過しておりますのでおまとめください。はい。決意をお願いします。質問を。山口さんに簡潔にご答弁願います。先生ご指摘のとおりですね、まずは1グラムでも取り出しをしまして、正常を確認するところから始めませんと先に進みませんので、まずはそちらの方に取り組みたいというふうに思います。終わります。ありがとうございます。
1:24:44
ありがとうございます。立憲民主党の新井豊でございます。今日は当連の山口副社長、そして不例の山崎理事長にお越しいただいております。今まで福島選出の先輩の国会議員の皆さんが質疑させていただいています。その中で次は僕自身は福島選出ではありませんが、復興に関わってきたものとしてお時間をいただきましたのでどうぞよろしくお願いいたします。まず前回の大臣への質問のときに、復興とは何ですかというやりとりをさせていただいたかと思います。僕自身は子どもたちが大きくなることじゃないかということをお話しさせていただきました。今日資料をお持ちしましたが、資料の2枚目の方をご覧いただければと思います。3月19日の読売新聞に記載されていた記事になりますが、富岡町出身の若い女性が演劇を通じて今頑張っていますということ、そういった記事になっていますが、彼女は小学校4年生のときに被災に遭っているわけです。その後、福島県立の二葉未来学園高校に進学をし、そして演劇部でいろいろな活動をして、そして今23歳になっていますが、有美里さんの作られた演劇の活動を有美里さんと一緒にやっているということが載っているかと思います。僕は大事に思うんですけれども、これこそが今僕たちがやっているべき復興の一つの形なんじゃないかと思っていまして、小学校4年生の子どもが高校を通じていろいろな出会いや経験をしていき、そして地元に留まって、地元で自分が、これもう少し細かく読んでもらうと、高校生のときにはなかなか被災のことをうまく表現するのが嫌だった。ただ、今23歳になったときには自分の経験を演劇を通じて表現することに自信を持っているという記事になっております。まさにここなんだと思っていますし、今日は東電やフレイの皆さんにもぜひお聞きいただきたいと思っています。こういう方々が今福島の特に浜通りの復興を支えているんだということをぜひご理解いただきたいと思いまして、新聞記事をお持ちいたしました。ちなみに大臣はこの二葉未来学園とか、もしくはこのゆうみりさんとかの演劇というのは直接ご覧になったことはありますでしょうか。
1:27:20
残念ながらまだ見ておりませんが、機会があればぜひと思います。
1:27:27
実は僕もこの福島の復興を通じて地元で学校の校長にもなりましたし、今この場で国会議員としても仕事をしているというふうに思っています。その中で教育の中では、実はこの演劇というものはものすごい大きな力があると言われています。国語の授業の一環なんですけれども、この国語の授業を通じてまさに何かに役割になって、その役割から発信をしていく、その役割の思いとかをどのように学んでいくかというのが非常に重要だというふうに言われています。ちなみに二葉未来学園の学校の中にもこの演劇というのは非常に重要な教育カリキュラムに入っていますが、一番初年度からずっと平田織座さんがこの演劇のプログラムをつくるに関わりました。一番最初の年の、これは生徒と一緒に演劇をつくるんですけれども、この演劇をつくったときの生徒がつくり出した演劇はこんな感じでした。時間ありませんが簡単に3人の男性が出てきます。ADRのセンターで高校の卒業生同士が出会うわけですが、一人が農家の人、一人が当店の人、一人が役場の人という、それぞれ異なった役割の人たちが、高校の卒業生がそのADRセンターで偶然出会うというところからこの演劇は始まるわけですね。そしてそれぞれの苦しさを話して 、最後に俺たちはどうすればいいんだということで問いを発して終わるんですけれども、これを演じている子どもたちは、親の話なんですね。自分たちのお父さんに、お母さんかもしれませんけれども、ヒアリングをしながらその思いをつないでいて台本をつくって、ただそれを演じるときには役割を一回転させるんですね。つまり農家の子どもが当店の役割をするとか、そういう形でそれぞれの立場というものをイメージしながらやっていく。これこそ僕は今回の福島、もしくは東日本大震災の復興の一つの形なんじゃないかというふうに思っております。それを踏まえて、今日当店の山口副社長がいらっしゃっていますので、先ほども金子先生の質問にもたったありましたけれども、廃炉を今一生懸命されていると思いますが、この廃炉にかかわっている職員のうち、双葉郡出身者というのは何名いらっしゃるのか、パーセンテージも含めて教えてください。
1:29:45
東京電力ホールディングス株式会社山口代表執行役副社長。
1:29:51
東京電力ホールディングスの山口で ございます。お答えいたします。出身地という括りでは、把握をできておりませんけれども、現在の福島第一原子力発電所の廃炉に携わっていただいている協力企業作業員の方、それから当社社員は8000人前後、そのうち住民票住所が福島県内になっている方が70%程度の5000人前後でございまして、双葉郡の方は全体の25%程度の2000人前後ということでございます。福島第一原子力発電所の廃炉は地域の皆様にお支えいただいているという認識のもとで、社員については引き続き一定数を地元から採用させていただくということとともに、協力企業作業員につきましても、地元企業様への発注を促進するなど、地域と一体となって廃炉事業に取り組んでまいりたいと考えてございます。
1:30:46
ありがとうございます。この前の復興特で、当時の双葉高校の女の子の記事を委員会には提出しまして審議もいたしました。その彼女が今は転職して、総連の復興に関わっている方がいらっし ゃるということを記事として提供しましたけれども、まさに今、社長がおっしゃっていただいたように、この廃炉作業に関わっている、先ほど金子先生からも是非従事している人たちの安全をという話がありましたけれども、まさにこれは地元の人たちなんですよね。そして地元の人たちが、なんとか自分たちの地域をより良くしたいと思って、まさにあの時は13年前の子どもだった人たちが、今や大人になって関わっている人たちも決して少なくないわけですね。当代の皆さんは一番よくわかっていると思いますが、是非そういう血の通った廃炉の作業、そして社員への眼差しというのをしっかり向けてほしいというふうに思っております。山口副社長は双葉郡にお住まいになったことはないんだというふうに伺ってはおりますが、是非その地域にそういう人たちが一生懸命やっている作業をしながら、今なんとか成り立っているということを、是非当代の幹部の皆さんはご理解いただいた上で、しっかりと仕事をしていただきたいと思っております。続いて、FLAの山崎理事長に、公明な山崎先生にお会いできて大変光栄に思っておりますが、もともと就任前に先生は浜通りの人たちと研究者たちが溶け込めるような自由な環境をつくりたいというふうに語っておられました。神奈川大学でのただ取り 組みもまさにそうであったというふうに伺っておりますが、現在こうして着任されて、短い期間ではありますが、最初の1年目、この当初の思い、地元の人たちとどういうふうに溶け込めるような環境をつくってこられているのか、教えていただけますでしょうか。
1:32:52
山崎でございます。今日はありがとうございます。お答えさせていただきます。Fレイが世界にかんたる創造的復興の中核拠点を目指す、その上、立地する浜通り地域等の住民や市町村、そして学校などと緊密な連携関係を構築させていただくとともに、地域の皆様に最終的にはオラがFレイと呼んでいただけるように実感いただけるような存在となることが極めて重要というふうに心得ております。そのためには一つ一つでございますけれども、まずは研究者や職員が一箇所に集まって住むような、いわゆるFレイ村と呼ばれてしまうようなものをつくるのではなくて、できる限り地域のコミュニティに溶け込んで、例えば8時、5時は研究者ではありますけれども、5時を過ぎたら地域の住民の一人としてですね、溶け込んで暮らせるような環境整備を私自身は願っていることでです ね、あちこちでそういう発言もさせていただいております。それから人材育成という面ではですね、二葉未来学園や福島高専をはじめですね、浜通地域に位置する教育機関との連携は極めて重要でありですね、今年度はまず私を先頭にですね、あの、役員しかまだおりませんので、わずかな研究者しかおりませんので、それぞれの学校に出向かせていただいてですね、科学技術の面白さとか大切さ、そしてまた若者たちがこれからの学生を育てることが大切なことを願っております。若者たちがこれからどう生きていくためにどう学べばいいかというあたりをしっかりと教え込む、いわゆるF-Leiトップセミナーというのを合計で16回開催をさせていただきました。まだ施設がない段階でございますが、地域の高校生の皆さんをですね、そのうちF-Leiに招いてですね、研究助手として登用させていただき、実際にF-Leiの研究開発などにですね、有事していただくというような構想も今、改めているところでございます。私としてはですね、浜通地域等で育ったお子様がですね、一度はもしかしたらその地域を離れですね、地域外の大学等に進学されることも大いにあるだろうと思いますけども、将来はF-Leiに戻ってですね、研究を担う研究者になっていただく、あるいはそれを支えるようなスタッフになっていただくという形で戻っていただけたら非常にありがたいなということで、日々頑張らせていただいているところでございます。以上でございます。
1:35:28
山崎先生、ありがとうございます。まさにですね、今日は資料、もう1枚お持ちしております、資料1をご覧いただければと思うんですが、これは震災直後にですね、二葉郡八町村の教育長の皆さんと、僕も委員で関わった、当時委員で関わりましたが、福島県二葉郡教育復興ビジョンというものをですね、作りまして、当時、確か復興大臣は根本先生だったように思いますけども、復興大臣ですね、それぞれの八町村の教育長と共に提出したものになります。まさにこのビジョンを基づいてですね、二葉未来学園というのはその後出来上がっていきますし、今いろいろ各地で再開している、また新設されているですね、二葉郡の小中学校、こういったビジョンに基づいて、今後に作られております。もちろんF例は、私立という言い方は難しいのかもしれませんが、ちょっと学校法人なのかちょっとわかりませんけど、ただ新しく新設されたですね、研究施設、大学院ということで言いますと、やっぱり見学の精神というのがとても大切だというふうに、特に私学 人としてはですね、思っております。そういった意味では今回F例は、二葉未来もそうなんですし、他の奥前の新しく出来た学校もそうですけれども、やっぱり見学の精神というのはですね、ここに全て書かれているものじゃないか、当時の教育長たちがですね、自分たちの地域の子どもたちにどうやって欲しいかというものを書き切ったものだというふうに思います。これはイメージ図ですので、もう少し内容はたったありますけれども、この中でぜひ山崎先生にはご念識いただきたいんですけれども、特に真ん中のブロックの一番上のところにあるところ、大学との連携進学というところをですね、書かれています。当時からやはり二葉軍の教育者の皆さんがですね、やっぱり大学とどう連携していくのか、あの地域には大学がありませんでしたので、やっぱりそれをですね、ぜひやっていきたいという強い思いがありました。そういうところに今回F例が来てですね、即日に入るところではありませんけれども、ぜひこういった連携を強めていただきたいと思っております。質問を終わらせていただきます。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。
1:38:10
日本維新の会、教育費無償化を実現する会の早坂敦史でございます。私も東日本大震災復興特別委員会を3年目になりまして、宮城仙台市出身ということで、退役をやらせていただいております。早速ですが、東日本大震災から13年が経ちました。私もですね、今年は3月11日当日はですね、仙台市役所と宮城県庁にて喧嘩黙祷を捧げてまいりました。土屋大臣も宮城県庁岩手県の津波追悼資金で喧嘩されたんですよね。そこで本当に心より御礼を申し上げます。そこでですね、大臣就任の際、総理から初の女性復興大臣として、女性ならではの視点を最大限生かして被災地に寄り添った復興政策に腕を振ってもらいたいという話をされていました。そして就任から半年が過ぎました。この半年間を振り返って御所感などありましたらお願い申し上げます。
1:39:23
半年あっという間に過ぎました。それでその間ですね、できる限り地域にお邪魔しようと思って、本当に最大限の 努力をしております。その中でお会いした方たちから受けた印象等は非常に大きなものがあります。やはり人に会う、また現地に行く、そして現地の人の思いを伝えてもらうということがいかに大事かというのを痛切に感じているところでございます。確かにインフラはほとんど整備されてしっかりと出来上がってきていますけど、でもやっぱり13年経っても地域の皆様のその時の大変な思いというのは心にしっかりと残っているなというのを感じております。特に私は今お話があったように、女性で初の大臣ということで言われておりますが、そういう意味ではできる限り地域で活躍している女性に会おうという努力をしております。というのは、この災害で表には出ていないけど、そこ力としての女性の力というのは大変大きかったと私は確信しております。そうした人たちがどういう思いでこの13年間やってきたのかというのをまた聞くことによりまして、何かこれからの政策にも反映できるかと思っているところでございます。
1:40:49
ありがとうござい ます。私も13年前を大変思い出しまして、その頃は実はですね、西霊市の仙台市なんで市議会議員を目指したんですけど、震災のために4ヶ月遅くなったんで、その時はほとんどボランティア活動で石巻県に行って、ヘドロを履いたり、あと物資を運ぶのを手伝いをさせていただいたことを大変思い出します。大臣、ただ復興大臣13年目にして16人目なんで、ぜひとも続けていって長くやってほしいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。次ですね、大臣所信の時の教訓の継承について伺いたいと思いますが、大臣所信の中で大臣は教訓と継承ということで、東日本大震災の記録と教訓を構成に継承することも重要だとおっしゃっております。ここで言う教訓とは何でしょうか。人によって地域によって、また津波の被害なのか、原発事故による被害なのか、被害の状況や程度によって感じることは異なると思います。福島県知事は自分ごととして備えること、伝えることとおっしゃっておりました。私は常に備え、感謝を忘れず、震災を風化させることなく、構成に継承していくと思うんですね。そこで大臣のおっしゃる教訓とは何でしょうか。そして、この野党半島の震災にも生かされているのかを伺います。福島県知事:まず東日本大震災で、日頃の災害対策で訓練をしていたことが非常にプラスになっている。大学生や学校での訓練が実際にみんなの命を守ったということでは、私は日頃の訓練というのは非常に大事だと思っております。何を置いても逃げると、人間は年をとってくると、あれを持ってこないか、これを持ってこないかと思うんだけど、やはり命が一番大事ですから、そこをみんなが自覚することが大事だと思っております。それから、野党においても、やはり日頃の訓練が生きたということを聞いております。それでみんなが「高台に逃げろ」と言って、津波の地域の方は一人も亡くなられなかったということは素晴らしかったなと思います。そういう意味では、そういう教訓をしっかりと伝えていくということが、私たちのこれからの仕事でもあろうかなと思っております。
1:43:31
ありがとうございます。震災から数年は、みなさん自宅で備蓄とか、やはりそういうことをちゃんとお風呂に水をたべたりしていた方が多いんですけど、やはりこの13年が経つと、やはり風化しているというのが思いますので、ぜひともこの教訓をしっかりと結集していただきたいと思 います。そして、子どもたちについて、震災についての心のケアに対しての取り組みについて伺いたいと思います。心のケアということは、震災直後からよく言われていますが、いまだに、いまだに子どもたちの心の復興が遠いとまだまだ思うんですね。被災した岩手、宮城、福島3県で他の自治体に転校した児童生徒の数は、圧倒的に福島県の児童生徒が多いです。福島県では自治体が把握しているだけでも3万人の子どもたちが避難しました。それから13年がたち、大人になっても心の傷が抱えたままの人たちは少なくないんですね。原発事故の避難区域にいた住民を対象に福島県が続けている健康調査によると、直近の2021年度は16歳以上で気分障害や不安障害、ハイリスクな精神的問題を抱えている割合は65歳以上が4.8%。40代から64歳が7%だったに対して、当時、児童生徒だった世代が含まれる16歳から39歳は8.8%です。被災していない一般の人たちは3%とも言われております。大人より子どもたちの方が心の傷が痛いということは示されていると思います。そこで原発事故による放射能という目に見えない恐怖というものもあったと思いますが、先に見えない避難生活の中、転校先に何時目ず中退をしたり、不登校になったり、小物になってしまうなど、転校や転院をしなくちゃいけない大きな要因だと思います。そこで震災直後、岩手、宮城、福島の3県にスクールカウンセラーが派遣されたり、東日本大震災、主要子ども支援センターが設置されたりしましたが、国は心のケアのためにどこまで本気なのか、そしてどのようなこれから対応するのか、検証がなされたのか、支援は十分だったのか、ノトハン島地震での被災者子どもたちの心のケアにも活かされているのかを伺います。
1:46:17
お答え申し上げます。特に子どもを含む被災者の心のケアは、被災地に共通する課題として残されており、その課題取り組みは重要だというふうに考えております。このため、副校長としては、関係省庁、関係地方自治体と連携して、先ほどお話がありました、子どもの心のケアセンターを設置し、子どもの心のケアに取り組みを支援しているところでございます。また、文部科学省におきましては、子どもたちが安心して学校生活を送るために、スクールカウンセラー等の派遣を支援しているところでございます。これらの支援に当たりましては、避難生活の長期化等に伴い、被災者の課題が個別化、複雑化しているといった地域の事情を踏まえつつ、引き続き、関係省庁と連携して、きめ細かく取り組んでいきたいと考えているところでございます。
1:47:09
心のケアは大事でございます。私も娘と息子がいて、25歳と23歳なので、当時は小学生だったんですけどね。その当時、いろいろとお手伝いに来てくれたりしたんですけど、やはり、まだ大きな津波の被害は起きていないので、そのためにも、うちの娘なんかは自衛隊になったりしていましたので、やはりそういう教訓があったからこそだと思いますので、ぜひとも。まだ元気な子どもたちはいいですけど、まだまだ言えない子どもたちのためにも、しっかりと子どもを取り組んでいただきたい。その次に、その中で、現在の維持や雇児の状況、取り組みについて伺います。前の大臣は、風評被害を払拭を風化の防止という2つの風と戦うとおっしゃっておりましたが、ご自身が、本当にあっという間に風のようにいなくなったということですね。過去最大の復興大臣でした。しかし、就任会見では維持・雇児の皆さんのフォローアップが大事だと、しっかり意識を語っておりました。私も当時、大臣のお考えに同意見でした。私は以前、児童福祉施設でも働いていたんですね。そこで毎日子どもたちと接しておりました。「物はお金を出せば買えるかもしれません」「唯一に苦しんでいる親はそれはいけません」親を亡くした子どもたちがしっかりフォローしていくことが、政治の役割ではないかと思います。人数が少なくなったからという問題でもないんです。当時、質問させていただきましたが、その後、維持・雇児のフォローアップはどうなっているでしょうか。心のケアと同時に、息の長い支援が必要となると思いますが、現状はどういった取組を行っているのか、また、今後の見通しについて、併せて伺います。福岡庁の東活館。
1:49:04
お答え申し上げます。東日本大震災では、被災された方全ての人が大変な思いをされましたが、中でも震災・維持・雇児の方は、肉親を失っており、本当に大変な思いをされたものというふうに思っております。福岡庁としては、関係省庁と連携し、関係自治体からの声を伺うとともに、震災・雇児の方へのアンケート調査を実施するなど、状況の把握に努めてきているところでございます。この調査では、例えば、これまでの支援に関し、生活や進学・就職の面で、孤児の方々から一定程度評価していただき、生活の助けになっているという声も伺っているところでございます。引き続き、東日本大震災により、震災・維持・孤児となっておられる方に対しまして、関係省庁や自治体と連携して、福岡庁としても必要な支援に努めていきたいと考えております。
1:50:01
失礼いたしました。お答え申し上げます。被災3県で震災維持・震災・孤児として認定されて、昨年3月1日時点で18歳未満である子どもの方々の人数というのは、維持が337人、孤児が18人ということで、被災3県から報告を受けております。まだ、現前にいらっしゃるということになります。また、維持・孤児の方々に対する支援につきましては、心のケアの観点などから、これまで被災者支援総合交付金によりまして、自治体への取り組みといったものを支援してきているところでございます。具体的に申し上げますと、岩手県では、岩手子どもケアセンターを設置いたしまして、巡回相談あるいは福祉教育関係機関からの相談支援を受けるということ。宮城県では、宮城子どもの心のケアハウスにおいて、心の悩みあるいは不安への相談など、心のケアを実施したり、福島では、福島子どもの心のケアセンターを設置して、原発事故に起因する不安や悩みを抱えるお子さん、さらにはその保護者の方々への支援に取り組んでいるというような活動が展開されているところでございます。引き続き、福岡庁さんを始めてする関係省庁と連携・協力いたしまして、被災自治体へのご意見やご要望を伺いながら、必要な支援を展開してまいりたいと考えております。
1:51:22
ありがとうございます。やはりまだまだ福島の復興は続きますけれど、私も18歳まで養護施設だと見てもらえますよね。しかし僕も先代新規時代、よく地元の施設に行ったんですけど、その当時12年前なんで、実はその当時、児童施設にいる子どもたちは、携帯電話では持てなかった。ただ18歳になっちゃうとすぐ出ていかなくちゃいけない。今はどうなっているかわからないですけど、やはり18歳以降の取り組みもしっかり、維持・小児さんだけじゃないですよ。しっかりと取り組んで、特にいただきたいなという思いでございます。次、人口減の時代に合わせた街づくりについて伺いたいと思います。東日本大震災では、加速が進む地域で、また高齢化が進む地域で大災害が起きたとき、街並みや産業の再興、人々の被害を取り戻すことがいかに難しいということを強く感じました。東北の経験は、野党半島の復興に生かされてはいかなけ ればなりません。津波被害が多かった岩手・宮城両県の沿岸部では、住宅の再建や道路、鉄道網など、人々の生活に欠かせないインフラは、ひとまず整備や管理をしております。しかし、被災地には思うように人が戻ってこないのが現状だと思います。最新の国勢調査では、被災地産圏はいずれも全国水準を上回るスピードで人口減少が進んでおります。過疎や高齢化が進む地域で震災が起き、復興需要が長引く間に人口が流失したという形もあると思います。まさに、元日起きた野党半島地震は、過疎や高齢化の目立つ地域の地震に襲われたという点で、東日本大震災と重なる部分も多いでしょうが、復興に向けた町づくりを進める上で、これまで進んできた東北の復興の過程は参考になると思います。石川県の長谷知事は、単に地震前の状況に戻すのではなく、人口減の時代に合わせて町を進化させていく創造的復興を掲げております。復興の東北の被災地が直面する課題は、野党だけではなく、日本の各地域の自分事として向き合わなくてはならない問題でもあります。少子高齢化の時代に、地域産業最高伝統文化の振興、経営省、子育て、医療体制等がどうすべきなのか、自分 たちの町が大地に見舞われた際、どう建て直していくのか、人口減に合わせた町づくりの考え方、課題を伺います。福岡県立福岡市立大阪市の宇野統括官(復興庁)お答え申し上げます。人口減少の中での町づくりにつきましては、まず産業や生業の再生等に取り組むことが重要だと考えております。被災地における雇用喪失を通じて、地域経済の活性化を図る取組をこれまで行ってまいりました。また、被災市街地においても、復興に向けて様々な工夫がされております。例えば、宮城県の小永川町のように、小永川駅等を中心としたエリアに都市機能を集約し、人口減少下でも活力を維持、喪失をすることを目指した事例、それから、宮城県仙台市の荒浜地区のように、集団移転の移転元地を大規模体験型観光農園として活用することで、新たな魅力を喪失し、集客だけでなく地域の関係者の連携も実現している事例、こういったものがあると承知しております。さらに、人口減少は全国の地域にも共通した中長期的に取り組むべき課題であるということで、関係省庁と連携して地方創生の施策をはじめとする、政府全体の施策も活用しながら取り組んでいかなければいけない問題だ というふうに考えております。こういった東日本大震災でのまちづくりにおける様々な教訓、ノウハウにつきましては、野党反当自身からの復興など、今後の大規模災害の復興に対しましても、生かしていきたいというふうに考えております。
1:55:53
実は仙台市は一時期、震災後には何千人か減ったんですが、それから、実は今はもう109万人、7,620人という、増えている、やはり一極集中で精霊市なんで、しかし、震災当時は、尾長、先ほど言いました石巻だったり、名取だったり、被災地の方々も引っ越したり、福島の方も引っ越してきてくれたともあります。ただ、その時はすぐに引っ越しとかできなかった状態だし、そしてまた戻りたいというか、先ほども言いましたより、心のケアがまだ整っていない方、しかし、自分たちの街に帰りたいというお父さんお母さんもいると思いますが、やはりこの人口減というのはこれからの少子高齢化、震災だけではなく、しっかり取り組んでいかなくちゃいけない。特に東北地方は、なかなか減少している地域が多いので、我々もしっかり取り組んでまいりたいと思いますので。次の質問に行きますが、住民が再建を検討するあたりに必要な状況を説明していたかを伺いたいと思いますが、東日本大震災の市街地復興事業を検証した国土交通省の資料によると、岩手、宮城、福島の3県では高台内陸に移転する防災集団移転促進事業で増生した土地の活用率は、2023年3月末時点で97%です。一方、土地を架下げして現地再建する土地区画整理事業は、2023年12月末時点で73%ととどまりました。また、街を移転するか、その土地を再建するかですが、この活用率の差はとても大きいです。土地区画整理事業は、知見者の同意を得るのに時間が大変かかるのです。また、土地を売買しても、先祖の土地を手放したくないのです。その事情や土地を架下げの後も、所有者は変わらず、その後を利用するまで十分に考えられない面もあったのではないかと思います。募集事業は、市町村が参加個数を把握した上で、土地を取得し移転先の土地を前提のため、規模を柔軟に変えることができます。どちらが正しいかということはありませんが、住む方たちが最善と思う選択を されるべきです。しかし、行政としても、人口減少を予測して、街の規模を適切に設定することは重要だと思います。行政と地域住民との話し合いは、どこまで将来を見据えたものだったのか、その点を考慮した情報提供、そしてまた、説明をされていたのか、行政が進める復興の街を一人ひとりが住民や生活を再建する個人の復興にずれはなかったのか、そしてまた、野党反党自身にも生かされているのか、ご説明ください。
1:58:58
お答え申し上げます。先生がおっしゃるとおり、地域の復興を街づくりにあたりましては、地域の住民の意見をよく聞いて、合意形成を図っていくことが非常に重要だというふうに考えております。今回の東日本大震災の復興にあたりましては、被災自治体において復旧・復興に向けた具体的な街づくりの計画を作成するにあたりまして、住民の再建意向を把握した上で、街づくりの方針、事業制度等について説明会やワークショップ等を開催し 、住民に対する情報提供や意見交換がなされたものと承知しております。また、国におきましても、平成24年1月に国土交通省が被災自治体に向けまして、先ほどの防災集団移転促進事業ですとか、土地確保事業等の内容や運用の考え方を示して、ガイドラインを公表し、各被災自治体による街づくりの計画策定を後押しているところでございます。野党反当に関しましては、大臣も言っていただきましたけれども、倒れている家、その隣は健全として残っている家ということで、それぞれの被災状況が違うということで、大変またこれは丁寧に合意継承していかなきゃいけないというふうに感じたところでございます。こうした東日本大震災での復興に向けた取組の教訓を生かして、そういったノウハウをちゃんと伝えて生かしていただきたいというふうに考えているところでございます。
2:00:22
そうですね、野党反当自身ともちろん東日本大震災、全然違うケースだと思います。私も当時、尾長とか西巻、仙台市もですけど、沿岸地域は特に爆弾が落ちたような感じで全部家がなくなっていたりして、このまま本当にどうやって復興が始まるのかなという思いもありました。しかしでもやはり皆さんも今までの教訓をしっかり生かして、野党反当の復興にも続けてほしいです。そして次の質問に参りますが、災害ケースマネジメントの取組について伺いたいと思います。東日本大震災、災害ケースマネジメントという支援の仕組みが広がりました。その発端は私の地元仙台市でした。訪問調査によって世帯ごとにカルテを作成し、個別世帯の状況に応じて必要な支援を行いました。災害ケースマネジメントは熊本地震、そして平成30年7月の豪雨災害でも実施されました。取組が広がりながら、鳥取県が全国で初めて平地から制度化し、現在は福島県も取り入れております。国でも取組の事例書や実施の手引きを作成し、令和5年5月の防災基本計画の見直しでは、災害ケースマネジメント実現を明確化することになりました。災害が起きたとき、基本的な支援者は、特に地方自治体に限定されます。しかし、ある地域にたまにしか起こらない災害に対して、平時を適応した地方自治体より慣れない仕事は しなければならないのです。被災者の支援、制度の上に担い手は、基本的に地方自治体という体制、考え方が続いてまいりましたが、東日本大震災をきっかけに、個別世帯の状況に応じた多様な主体の支援の取組が広がりました。そこでもちろん、行政が何でもやるわけでもなくて、できるわけではありません。専門性を持った各自主と役割分担して支援していくことは、効率かつ効果的だと思います。ぜひ改めていただきたいと思います。しかし、現在、石川県においても、民間団体の方や在宅避難者のお宅を一件一件訪問して調査しておりますが、マンパワーが全く足りていない状況です。災害が起きてから体制を整えて、平時から位置づけをはっきりさせ、地方自治体にもしっかり体制を整えるようにしていただきたいと思います。まだまだ課題はあると思いますが、行政だけではできませんので、しっかり民間と連携できる環境整備をお願いしたいと思います。おける状況を併せて、また、のと半島地震における状況を併せて、ご説明をお願いします。
2:03:31
お答えいたします。内閣府では、被災者が抱える多様な課題が解消されますよう、一人一人の被災者の状況を丁寧に伺い、関係者が連携して必要な支援を行う災害ケースマネジメントを促進しております。これまで、委員ご指摘の仙台市の事例を含めまして、またこれも委員ご紹介いただきましたけれども、自治体の講事例を取りまとめたような取組事例集ですとか、手引きを作成し、また、昨年の5月の防災基本計画において、災害ケースマネジメントという言葉をはっきりと書きまして、それに取り組むべきことを明確化したところであります。また、平時から官民が顔の見える関係で連携体制を構築していくことが重要でありますことから、今年度、行政職員に加えまして、社会福祉協議会をはじめとする福祉関係者、弁護士等の私業関係者、NPO等の民間団体など支援に関わります幅広い方々を対象とした説明会を、全国10県と連携して実施したところであります。現在、石川県におきましては、県内の市町が連携しまして、被災者代表などを活用しながら、被災者の居所居所や支援制度の利用状況の一元的な管理を進めているほか、福祉の専門団体、またNPO等が連携した個別訪問の実施、そしてホームページやSNS、それから高齢の方が多くございますので、広報紙ですとか防災行政無線などによります被災者への情報提供などに取り組んでおりまして、災害ケースマネジメントの考え方に基づいた取り組みが進められていると承知しております。内閣府といたしましても、被災者一人一人に寄り添った支援が行われるよう、引き続きしっかりと取り組んでまいります。大阪府平常に官民一体化をしてしっかり取り組んでもらいたいんですけど、この本を書いた、くれた大戸君という方がNPO法人をやっていまして、ボンナードジャスティスという団体をやっています。13年前から実はボランティアをやっておりまして、被災者復興の。東日本だけじゃなくて、今もですね、野田半島に1月5日から食材を集めて、もうずっと今も入っている状況なんですよね。だからこういう方々と一緒に取り組んでいってもらいたいという、別にこの方という限定はないんですけど、やっぱり官民一体でしっかり取り組んでいただきたいという思いですので、よろしくお願い申し上げます。ちょっと時間がなくなってきましたので、最後の質問させていただきます。
2:06:09
最後に大臣にお願いをしたいんですけど、東日本大震災から14年目を迎えます津波被災地域では、もちろんですね、宅地整備など復興事業はほぼ終わりました。人口減少に歯止めがかかりません。しかしですね、各地過疎化や高齢化に被災者がかかる中、地域防災力をどう維持し高めていくのかは大きな課題だと思います。現職災害被災地域は津波被災地域とは現状が大きく異なります。そして福島原発では燃料デブリの取り出しなど配慮に向けた作業に全体的に遅れが生じております。その他、アルプス処理水放出に係る対応、基幹困難区域、またですね、避難指示が解除された地域の取り組みなど、本当に問題はね、惨石しております。息の長い支援、取り組みが必要です。また東日本大震災を知らない子どもたちも出てきております。風化させない努力、取り組みも必要です。被害はまたやってまいります。いつどこでどのぐらいの規模なのかはっきり わからないこそ、私たち一人一人が平時から防災意識を高めると同時に、行政もアップデートして続けなければならないんです。このように13年経っても様々な問題があり、おなかには新たな問題も発生しております。最後にですね、瀕災から14年目を迎えるにあたり、福島の復興、東区の復興にかける大臣の思いをお願い申し上げます。
2:07:56
色々な今日の質問の中で本当に答えが出ているのかなと思いますけれども、先ほどのハードメインは大体完了したと、だけどコロナケアとか、あとはなりわいもまだまだだということもあると思います。これは人口が減少している中で、なりわいを大きくやっぱり広げていくということ、それから企業誘致なんかも非常に大事だと思います。それから今日、エフレイの山崎理事長がお越しでございますけれども、この設立、昨年4月にエフレイが設立されました。これは大変な大事業でございます。もう皆さんのお力を借りながらですね、一歩一歩しっかりとエフレイを立ち上 げていくということが大事だと思いますし、また、基幹困難区域において2020年代をかけて、基幹一行のある住民の方々全員が基幹できるよう、これは大きな仕事だと思いますけれども、特定基幹居住区域制度が創設されたわけでございますので、これも着実に進めていきたいと思っております。そしてまた、先ほど言いまして原子力災害地域においては、まさに復興のステージが進むにつれていろんな問題が出てきておりますので、これに対応しながら、今後もしっかりと廃炉に向けて頑張っていきたいと考えております。いずれにしても、地域の皆さんの声を聞きながら、本当に現地に足しげく赴いて、しっかりといろいろな課題に向けて頑張っていきたいと思います。早坂君、時間が巻いております。私は実は3月11日が誕生日でございまして、しっかり天命と懸けて、粉骨再生、震災復興に向けて頑張ってまいりますので、よろしくお願いします。質問は終わります。ありがとうございました。
2:10:19
日本共産党の高橋千鶴子です。野党反当地震が発生した元日、四日原発から北に10キロほどの地域に住む男性が、「自宅が壊れ、原発のことまで考える余裕がない。何ともなくてよかった」と声を出したことを、2月21日付け、朝日が報じています。石川県の計画では、原発が立地する四日町の北部の住民は、3間部を抜けて、乙町に避難するが、基本的な避難ルートの11路線のうち7路線が崩落や亀裂で寸断、いわゆるPAZ、UPZにあたる3キロから10キロ圏内では、一時、和島市と穴水町の計8市区が孤立状態でした。2月6日の東京新聞、四日町の稲岡健太郎町長が、「海にも空にも逃げられない」と述べたと報じています。原発事故と自然災害という複合災害のときに、避難はどうあればよいのか。東日本大震災は、地震・津波という自然災害と原発事故による複合災害であり、既にその時点で課題は明確だったと思います。この点で、福島第一原発の事故は、避難においてどんな教訓があったか、 大臣の認識を伺います。
2:11:46
福島第一原子力発電所事故を踏まえた原子力防災に関する教訓としては、例えば、住民の避難等の範囲が事前に防災対策を重点的に充実すべきとされた範囲8キロから大幅に増えて20キロになったということ、事故の進展に応じて避難区域を拡大した結果、多くの住民が避難先を点々とせざるを得なかったこと、そして病院や福祉施設の入居者が避難中または避難先で亡くなるという痛ましい事態が発生したこと等が挙げられると思います。このような教訓を踏まえて、内閣府では原子力発電所の所在地域ごとに地域原子力防災協議会を設置して、各地域の原子力防災体制の充実・強化を図り、原子力災害対応の実効性の向上に取り組んでいると承知しております。副校長としても、東日本大震災原子力発電所事故の風化防止と教訓の継承がなされるよう、関係省庁と連携してまいりたいと考えております。
2:13:07
ありがとうございます。本当にどれも思い起こす事例ではなかったかなと思います。特に避難の範囲がどんどん広がっていったということでの混乱というのは非常に大きかったと思っています。原子力規制庁に伺います。現在、新規制基準適合性審査を行っております。主なもので、7つの電力会社、9機の原発本体施設について審査中と承知しておりますが、避難計画の有無やその実効性については審査の対象としないという理解でよろしいかと思いますが、確認します。それがなぜそうなっているのか、理由を簡潔にお願いします。
2:13:56
お答えいたします。まず、新規制基準は原子炉等規制法に基づき、施設の構造等に着目して災害の防止上、支障がないか どうかを確認するための基準であり、いわゆる避難計画は含まれておりません。一方、いわゆる避難計画につきましては、災害対策基本法に基づき、地域ごとの実情を熟知する自治体がそれぞれの地域防災計画の中で定めることとされています。また、立地地域ごとの地域原子力防災協議会が、避難計画を含む緊急事態法について、原子力災害対策指針等に照らして、具体的かつ合理的なものであることを確認することとしているほか、この地域原子力防災協議会において、関係府省庁が一体となって、緊急事態法の具体化充実化に取り組んでおります。また、国民原子力規制委員長が参画する国の原子力防災会議でも、その緊急事態法を了承することとしており、原子力規制委員会としては、これらのプロセスを通じて、専門的技術的観点から所要の役割を果たすこととしております。以上です。
2:15:01
それぞれの役割があるというように聞こえるのですけれども、結局はどのタイミングで決めるのかということが、実はお互いに責任を任せているという ことになるのですね。そこがずっと問題に私は考えてきました。2月の頭に数値に行ったんですけれど、その前日ですね、青森県の大間原発三町村の首長らが来出をしました。とても一言ではないと訴えられました。下北半島も半島地、まさに似たような地域でして、一昨年の豪雨災害で国道をはじめ土砂崩れで不通となりました。まさに目の前の橋を渡ればすぐそこが役場なんだけれども、それが陥没してしまったわけで、風間浦役場にたどり着くために、夜の山道を2時間以上かけて迂回路を回ってたどり着いたことを思い出しています。半島部という点では、宮城県の尾長原発も同様です。東日本大震災のときは、原発の東北電力ですが、体育館の中に最大時では364名の町民を避難させております。これは私自身が直接その時に、被災者がいたときに、その体育館に訪れているんですけれども、原発の周辺は何十か所も道路が寸断されて、他に逃げ場がなかったわけであります。逆に尾長原発が直接何らかの事故に遭えば、完全に逃げ場を失うということは明らかだったと思います。共同通信によると、国交省が公開している地理情報データをもとに、道路が土砂災害警戒区域を横断しているかどうかを分析すると、建設 中を含む国内19の原発の30キロ圏内にある自治体のうち18道府県、計109市町村で、地震など災害時の緊急輸送道路が土砂崩れなどにより寸断される可能性があることがわかったと。実に30キロ圏内に含まれる市町村の79%にあたると言います。原発周辺の自治体の避難道路がこのような条件下にあるという実態は、どこまで掌握されているでしょうか。その上でどのように避難計画を作るのでしょうか。
2:17:38
お答え申し上げます。内閣府では、ご指摘の道路状況も含めて、地域の実情をよく知る関係自治体、関係省庁、機関が参加する地域原子力防災協議会の枠組みの下で、自治体の避難計画の策定、充実化の支援や緊急時の対応の取りまとめ、あるいは取りまとめに向けた検討を進めております。具体的には、この協議会には、国交省やネクスコや、道府県、市町村、30キロ圏内の関係自治体が参加しておりまして、これら道路管理者も参加して、地域ごとの緊急時対応において、大規模な自然災害と原子力災害の複合災害も想定して、道路 が寸断した場合の防護措置についても整理してきております。先ほどご指摘ありました、道路の寸断についてでございますけれども、その対応といたしましては、避難経路をあらかじめ複数設定する、あるいは必要な代替経路を設ける。陸路が駄目な場合は、回路、空路による避難、またその避難の準備が整うまでは、屋内退避を継続する。さらには、必要な場合、警察消防自衛隊といった実動部隊が住民の避難を支援するということとしております。引き続き、この教育会の枠組みの下で、自治体の避難計画の策定充実化の支援や、原子力災害対応のさらなる実効性の向上に、しっかりと取り組んでまいります。以上です。
2:19:14
複数の道路が、要するにさっき言った、尾長の中はまさにそうなんですよ。西も東も南も北も、八方塞がりになるわけ、道路寸断。一般的な災害であれば、そこが埋まったら、だいたい道路って考えるけれども、そうじゃない場合が当然想定されると いうことも含んでいますかと聞いています。
2:19:41
はい、そのような場合も想定をして、最後、先ほど申し上げましたけれども、警戒作業に取り掛かりつつも、自衛隊による住民の避難、これは実効部隊により、自衛隊とか警察消防自衛隊の力を借りますけれども、それによりまして、住民の避難を行うというふうに計画しております。
2:20:08
そこまで、想定していることとできるということは、要するに可能な計画が組めるということは別ですからね。例えば冬だったらどうしますか。私、お話しした、下北半島に行く途中の横浜町っていう、下北半島の首の付け根みたいなところにあるところがありますが、国道です。雪で全部塞がりました。いわゆる、十字つなぎに車がなって。自衛隊出動要請をしました。だけど、青森市からも六地市からも渋滞しているので、届かないんですよ。そういう実態が起こり得るってことをね、やっぱり複合的に議論をしなくちゃだめなんだということを指摘したいと思います。17日付の家屋振興によれば、のと半島地震を受け、小永原発の重大事故時の避難計画に対して不安が大きくなったと答えた方が30.9%。もともと不安を感じていて、その気持ちは変わらないと答えた方と合わせると、64.8%に上りました。当然だと思います。減災指針によれば、5キロ圏内は直ちに避難、30キロ圏内は屋内退避を基本とします。改めて、地震なら家屋が倒壊するなどして、屋内退避は厳しいねっていうことが突きつけられたと思うんですね。原子力規制委員会は、1月13日に小永原発関係の市町村との懇談を経て、複合災害について議論をしてきたと思います。1月17日の規制委員会で、山中委員長が、のと半島では家屋が倒壊をしたり、集落が孤立をしたりという状況にございますけれども、そういう状況下での原子力災害という複合災害の問題、これは非常に重要な問題であると発言されています。この発言を受けて議論を始めて、どのように整理されましたか。
2:22:12
お答えいたします。まず原子力災害対策指針では、住民等の被爆線量を合理的に達成できる限り低くすると同時に、被爆を直接の要因としない健康等への影響も抑えることが重要であるといった基本的な考え方を示しております。この考え方に沿って各地域の緊急事態において、家屋倒壊が多数発生する場合には、自然災害に対する避難行動を最優先で行い、地方自治体の開設する指定避難所で屋内に退出するなどの複合災害時の対応は基本的に示されているものと承知しております。そこでこれらの経緯を踏まえまして、去る2月14日の原子力規制委員会におきまして、複合災害について議論が行われた結果、野党反当自身の状況を踏まえて、原災指針を見直すものではないという結論に至っております。高橋君。結局ね、重要な問題だと言ったけれど、見直ししなかったんですね。山中規制委員長は、我々の範疇ではないと語ったと報道されて、責任の割だなって思いました。さっき最初の質問がそうなんですよ。結局、地方自治体がつくるからと言いますが、地方自治体にしてみたら、もう自分たちの範疇を超えてるんですよ。これだけの災害が起こったときに。そして、経産省も逆に審査は規制委員会だからと、安全審査はちゃんと規制委員会がやってくれるか、お互いに責任をなそりつけ合っていると。それが実態なんです。規制委員会で議論された中身 をざっくり言うと、自然災害時にはどの道避難しなければならないんだと。だから、自分たちではなく、内閣府防災がちゃんとやるはずだよという議論と、被爆を恐れるよりも、まずそれだけの災害になったら、そっちのいわゆる倒壊だとか、そういうことによる影響の方を先に心配をするわけだからと。そういうことを考えたら、原子力災害ではなく、自然災害に対する計画がしっかりできていればいいという、そういう意味ですよね。
2:24:25
お答えいたします。自然災害に対する対応としての避難所の確保等につきましては、各地域防災計画の中で具体化、充実化されるものと承知しております。
2:24:38
だから、複合災害であっても、自然災害が避難計画をちゃんとやっていれば、自分たちはいいんだって、そういう理屈でしょと聞いて います。
2:24:55
複合災害を含め、自然災害に対する対応につきましては、地方自治体の各地域防災計画で具体化、充実化されるものと承知しております。
2:25:09
本当に信じられないお答えなんですね。要するに、私は分担してもいいけれど、それぞれに限界がある。だからこそ、それを総合して、ちゃんと責任を持つというのが誰ですか、ということが知りたいわけなんですよ。ずっと聞いています。東電の福島第一原発が水素爆発したのは翌日でしたよね。12日の午後3時過ぎです。ですから、そこまで原発が深刻な事態に至っていたことは、周辺の自治体は知る余地もなかったんです。スピーディーが作動しないと言われて、実際は知っていたんですが、プルーム の流れが発表されなかった。何の指示も示されないために、並江町の住民は、津島地区最も濃度の濃かったところに避難して、幾日も過ごしたわけです。ノトでは、116箇所あるモニタリングポストのうち、18箇所で一時データが得られなくなりました。通信機能の多重化が課題になっていると聞きますが、こうしたモニタリングを仮に適切に行ったとしても、それを着実に判断する人、逃げなきゃいけないよと、屋内退避じゃなくて逃げなきゃいけないよとか、そういう判断をする人は誰か。正しい情報を送る、それが誰ができるんですか。小島長官官房審議官が。お答えいたします。モニタリングポストの一部の測定が確認できない場合には、まず我々は必要に応じて、下半型のモニタリングポストの設置や、航空機モニタリングの実施等の代替措置を講じ、必要な判断基準に照らして、原子力規制委員会が非難等の防護措置を実施を判断することとしております。その判断を受けて、原子力災害対策本部が輸送手段、経路、避難所の確保等の要素を考慮した、非難等の指示を地方公共団体を通じて、住民等に混乱がないように、適切明確に伝えることとされております。
2:27:08
ですからね、自治体はまず原発のことを考えないわけですよ。地震だと思って逃げなきゃいけないと思うと。そのときに、モニタリングポストがどうなってかなって話ではない状態になっていると。で、皆さんの計画は、自治体が安全な避難の計画をもともと立っているはずだと、そっちが最優先だと言っているわけですよ。だったらそれを本当にね、規制委員会が正しく速やかに伝える、そういうことでいいんですか。あなたたちがやるってことでいいんですか。
2:27:48
復号災害時を含む原子力災害の発生の際には、原子力立地地域からモニタリングポストを通じて必要な情報を得て、原子力規制委員会において所要な判断をし、先ほど申し上げたようにルートを通じまして地方公共団体を通じて指示等をお伝えいたします。その際には必要な地域公共団体との連携の対策が既にできておりますし、対応できるものと考えております。
2:28:19
原発から10キロ、第二原発から5キロの富岡町は、発災直後、原発に何か起こるなんて考えてもみなかったと言います。役場の会議をやっていて、そのまま避難した後の様子が長く残っていましたので、私もその場に行きましたけれど、町内の事実をつかんで殴りかきしていたホワイトボート、炭化したおにぎり、つまり炭になったおにぎりが、そのまま机の中に、上に散乱していました。これは、今、資料館にそのまま再現をされておりますけれど、その時、机の上には、地域防災計画原子力編というラベルの張った分厚いファイルがありました。課長はそれを指さして、あれが何の役にも立たなかった原子力編と指を指して呟いたのが忘れられません。実際にしてみたら、そういうことなんですよ。ここに適切な指示ができますかと聞いています。あの年の国会で、2011年8月9日です。枝佐月当時の環境大臣が、昭和30年代に原子 力基本法を基盤にする原子力放生ができた。その時に、原子力発電所であるとか、あるいはその他の放射性物質を扱う場所から、環境中に放射性物質が飛散するというようなことはない。そういう前提があったんですね。環境放生については、放射性物質はそもそも適用外だったということをおっしゃった。これは私は反省を込めておっしゃったと思うんです。そういう措置をずっと取ってきて、今日まで来てしまっている。でも、あの時の反省から見てね、やっぱり変わってないなと思うんですね。想定できなかったんじゃなくて、86年にはチェルノブイリの事故があって、放射性物質が外に飛ぶってことを、IAEAはちゃんと真相防護ってことで示してるんですよ。今後はその条約に締結も、締約もしています。それでもこういう状態だっていうことでは、あまりにも責任がなさすぎる。私はこういう状態で再稼働をするってことは絶対やめるべきだと指摘をして、残念ながら時間が来ましたので終わります。
2:30:40
国民民主党の鈴木良寛です。ちょうど13年前、私は県会議員で、4期目の選挙の前が3.11が起きまして、地元でも、5強の揺れを見て、生まれて初めて昆虫が波を打っている状況を見た1人であります。先ほども議論になっていた、いろんな避難計画もそうなんですけれども、やっぱり教訓をどう現場にまた組織に生かしていくかっていうのが大事なことだと思います。言われてはっと思ったんですけど、どこの地域でも避難場所って指定されてますよね。そこが大体小学校、中学校とか高校、公共施設と言われるところが多いんですけど、その鍵を誰が持っているのかって尋ねられたんです。小学校、中学校も、今地元に住んでいる教員が、校長、教頭、事務長でもいいんですけれども、地元に住んでいないんです。1時間も離れた、1時間半も離れたところから通ってくる現状があって、鈴木さん、避難場所って言われて、体育館に逃げろとか学校に逃げろって言われて、鍵誰が持っているの。最悪はもうガラスを割って中に入るしかないんですけれども、地元の市役所と相談をして、スペアキーを市役所の消防署で預かるという形で対応しました。特に組織が違うと、小中学校は市、県立の高校は県が所管、国は国の施設があるかどうかは別としてですね。誰が鍵を持っているのか。身近なことでもやはり対応していかなくちゃいけないんじゃないかという一つの教訓です。それともう一つ言われたのは、これもなかなか予算がなくてできないんですけれども、体育館に避難しろ、寒い時もあれば雨降っている時もあると思うんですけれども、体育館のガラスが割れたらどうするんだと言われたんですね。本来だったらフィルムを貼って被産防止をするとかというのはできなくはないんですけれども、その予算を誰が出すかという、こういう話も出てくると思います。だから意外と身近なところに対応しなきゃいけないことが、やっぱり東日本大震災の時のいろんな事象を踏まえてですね、対応していかなくちゃいけないのかなというふうに、教訓の一つとして思い返しました。それでまず最初に大臣にお尋ねしたいんですけれども、13年たったんですが、基幹困難区域、最終的にはこれを解除していかざるを得ないと思うんですね。これはもうその地域にお住まいの人方、今避難生活をしていたり別のところでお住まいになっている方も、やはり戻りたいというふうに思われると思うんですけれども、この解除の見通しをどのぐらいのスパンで立てられているのか、まずお尋ねしたいと思います。